中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(102)

(102)
実現へ向かって・教師の募集
 
三月中に教師の募集を進めておかねばなりません。
「現在の学制ゆえに切り捨てられた生徒のために貴方の力を貸
して下さい」
という新聞募集に十数名の方が応募してくださいました。まだ教室
の造作をガタゴトやっているなかで、でき上がったばかりの小さな
職員室で面接をしたのです。
県立学校で三十五年のキャリアを持ち、工学博士でもあるY先生、
雨降りの日に長靴をはいて面接に現れたU女史は薬剤師でもあり
ました。教師は初めての経験になるM先生、定時制高校の経験の
長かったN先生、初めて教師になる大卒の女性、鎌田さんを含め、
生徒十八名に職員八名でスタートすることになりました。
入学式を前に四月一日から厳しい教師の研修会を行いました。
私の教育に関する思いのたけを毎日八時間、二週間かけて話し
ました。
高田茂校長にしても、Y先生にしても、中学、高校の教育を三十五
年やって来られた方ですが、先生方の過去の経験を生かしていただ
くというより、先生たちによりフレキシブルな発想を要求し、新し
い学校作りを目指し、教育の原点に立ち返ることをお願いしました。
特に、Y先生は、県立神戸北高校の設立委員として活躍され、当初、
処罰のない高校を目指した方だけあって、私の理念をいち早く理解
して下さいました。
 
入学式
昭和59年(1984年)4月18日、神戸暁星学園創立第一回目の入
学式を迎えました。
生徒数十八名の小さな小さな入学式です。しかし、厳粛な入学式でも
ありました。
西側の教室に鉢植えの松を置き、十八名の生徒と保護者の方々、
そして職員で、会場は一杯になりました。前日から選曲してあった
BGMが、通路に置いたカセットから静かに流れ、華やかなムード
と厳粛なムードを交互に漂わせました。
出席者はそれぞれに違ったことを考えていたのかもしれません。
生徒は
「ほんまに、これでも学校かな。運動場もないし、塾とちがうんか」
「大丈夫かなぁ」
とか思いながらも、周囲の緊張につられていたのかもしれません。
保護者の方は、
「こんな学校に私の息子が入るなんて、何という悲しいことだろう。
こんなつもりで子育てしてきたのと違うのに・・・・・」
「ほんまに高校卒業できるのだろうか」
教師たちは、
「心配していたけれど、いい子ばっかりじゃないか、あぁ・・ホッと
した」
「これから先、この学校どうなるんだろ」
入学式に参加した全員が、それぞれに思いを馳せているうちに式は終
わりました。
私は、ここまで来ることができた喜びと、これから先のことを考え、
この学校に「私の命」を賭けることを再び誓ったのです。
 
入学式が終わって二ヵ月が経過した頃、神戸新聞社の記者が来られ
ました。いろんな会話の後、「この神戸暁星学園のことを記事にし
たいのですが、協力してくれますか」ということになりました。
記者の方の話では、教育現場というところは非常に保守的で、悪い
ことだけでなく良いことの場合でも、ほとんど取材ができないとい
うことでした。
神戸新聞は、地方紙といえども全国第一の地方紙で、地元では、
大手紙をはるかに凌いでいるほどの新聞です。神戸新聞が、四日間
の連載記事を書いて下さいました。記者は、生徒と一緒に授業を受
けながら取材したのです。
この記事を見て、サンテレビが取材に来ました。新聞の場合と違って、
生徒の反応は過敏になりました。
「僕らを撮って、どうしようっていうの?僕らが、落ちこぼれだと
いって放送するのか」
彼らは非常にコンプレックスが強くて、映像として放送されること、
自分の顔が映ることを極端に嫌います。報道は怖いもので、映像や
記事になったとたん、その内容に間違いがあっても、読者や視聴者
はストレートに受け取ってしまいます。生徒たちの懸念もまんざら
ではないのです。顔は映さないという条件でOK しましたが、授業
風景も生徒が拒否したため、テレビ局のカメラマンが階段から窓越
しに撮影するという状態でした。