タイトルが大げさすぎて申し訳ないが、一人の人間が
育っていく過程には家庭環境もあるだろうし、学校教育
も大きく影響するし、社会教育も重要だ。今日は、たまたま
だが神戸市で馬鹿げたことがあったので学校教育について書く。
20代教員4人が先輩教員4人から暴行や暴言を受けていた
問題について話し合った。
長田淳教育長が「前代未聞の行為で、心からおわびしたい」と
謝罪しなければならない羽目になった。「いじめをしてはいけ
ないと教える側が起こした事案で、委員として無力感を覚える」
「事実関係や原因をしっかり調査し、再発防止の徹底を」などの
意見が出たという。 まぁこれはたまたま表面に出ただけのことで
あって、潜在的には同質の問題を抱えている教育現場は多いのでは
ないだろうか。「先生にでもなろうか」と言われた時代があった。
の頃から教師の質が下がってきたのではあるまいか。 仕方がない
ことなのかもしれないが、教師には「教えたいから教師になった」と
いう人が圧倒的に多い。「先生と呼ばれたかったから」も多い。実は
この二つとも動機としては教師に向いていない人だとわたしはおもって
いる。教師になるまで、わりと順調に来た人が多いのではないだろうか。
一旦社会にでて苦節の年月を送ってから教師になった人と、順調にきた
人とでは生徒に対する考え方が違ってくる。 順調に来た教師は自分の
憧れているタイプの教師になることを目指す。その結果、生徒が見えない。
ちょっと変な例え方をする。 比較的症状の軽い患者ばかりを入院させて
100%の治癒率を誇る病院があるとする。一方で、どの病院も受け入れを
拒否するような患者を捨て置けず、結果的に治癒率が下がり、死亡者もでる
ことがあったとする。 どちらの病院が社会から評価されるのかは歴然と
している。 新聞社などから出版されているものにそのような傾向のもの
がある。それを読んだ人たちは治癒率の高い病院が優れていて、治癒率の
低い病院や死亡者が出る病院などは「入院したら出てこられへん病院」など
と悪口を言う。 神戸に灘中、灘高という全国的に名高い学校がある。
素晴らしい秀才が集まり、東大に多くの入学生を送り込んでもいる。
私が作った高校は、高校受験をすべて失敗した子供が100%だった。
そんな大変な学校が成り立つはずがないといわれた。どこかの島に作った
らどうヤ・・とも言われた。しかし私は校則をたった一つしか作らなかった。
「人の権利を侵すな」だけである。 教師たちは、何度も何度も校則を
作ってくれ!と頼みに来た。私は、教師が成長できたら校則などはいらない。
校則を必要としているのは、教師が楽をしたいからであって生徒のために
ではないだろう。教師一人一人が成長し、生徒からみても「この学校の教師
は、他の学校の教師とは違うぞ」と気付いてくれる。 彼らは家庭で裁かれ、
学校の9年間で教師たちに裁かれてきたからこそ、今のようになったんだと
おもう。先生たちが「この学校の教師が違う」と生徒たちにどう気付かせ
るか。それがテーマだよ・・と。 この続きは長いので、今日はここまで。
(4に続く)