中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(88)(書評 1)

偶然だが、今回が連載の88回となった。
末広がりの88回とは縁起が良い。また全くの偶然だが、先月の
中ごろ、このブログに「第1期生のKです」という投稿があった。
彼とは、24年間ほど会っていなかったので連絡先が分からず
ブログに投稿したと言うことだった。そして彼との再会が明日
(11月15日)訪れる。彼がわが家に来てくれることになった。
すでに毎日のように彼とメールのやり取りをしていて、彼がこれ
までどんな人生を送ってきたか、現在何をしているのかも知って
いる。彼の許可があれば、紹介することもあろうが、一口に言って
しまえば「大変すばらしい卒業生」である。胸を張って「わが校の
卒業生です」といえる。こんな日が来るとは、とても嬉しい。
第1期生、それは「神戸暁星学園(高校)」の卒業生なのだ。
私は、ひょんなことから高校を創設することになった。その一部
始終は「教育の原点を求めて」と言う本の中にくわしく書いたので、
ここから私が豪州に移住するまでの期間については、この本に書いた
ことをベースに綴ってみたいと思う。
「教育の原点を求めて」の出版時にはジュンク堂書店が「平積み」
して下さったものだった。当時の各新聞社などの書評を最初に紹介
しておきたい。
自慢になるが、本と言うものは毎日何千冊と出版されている。新聞・
 雑誌の書評に登るのは特別なことなのだ。
 
書評 「教育の原点を求めて」
書評欄=1991年12月15日(著者の顔写真掲載)
 「昭和五九年春、「神戸暁星学園」と名乗る高校が、わずか十八人の
生徒だけで,しかも神戸市兵庫区(長田区の間違い)の雑居ビルの中に
生まれた。
 進学制度からあふれ、行き場のない生徒を受け入れた。翌年には
障害児や不登校児らを含む二五〇人が入学、現在では三校舎に別れる
規模になっている(在校生600名以上)が,本書は創設の理事長で
ある著者が「窓際のとっとちゃん」のトモエ学園を理想に学園づくりを
実践した感動を呼ぶ苦闘の記録である。
 家庭の事情から十五歳で住み込み店員として出発した著者は独学で
経理事務所を開き、その後も養鶏場の経営、さらにはデザインルーム
事務所を持ち、神戸フアッション・ソサエティー会長を務めるなど
仕事を転々としながらも、「すべての十五歳」に学ぶ機会を与えられ
る学校を作りたい、との念願を何の資金も後ろ盾もないままに創設に
踏み切った。
 著者が一人一人の生徒,教師に向かい合ってきた姿勢と熱意は尋常で
はない。トラブル、失敗の類もさらけ出した上で「送り出した生徒を
見てください」と言い切れるのは「心の居場所をつくってあげたい」
という一心から積み上げた営為からだろう。
 幾つもの具体例に触れられている中で、一つ紹介すると、一期生に
「アルバイトのお金なら修学旅行でヨーロッパに連れて行こう」という
口約束が現実にった。ジュネーブでの他のツアー参加者も交えた集いで
編入生で摩擦も起こし、中学時代「番長」だったというN君は自己紹介
で「僕らはみんな落ちこぼれ、勉強ができなかったり、やんちゃをして
親や先生に迷惑をかけてきた。ここにいる理事長の作った学校にひろ
われたんです」とさえいったという。なんと素晴らしい言葉だろうか。
それに引き換え、世間が烙印を押す「落ちこぼれ」とはなんと嫌な言葉
だろうか。
 校門圧死事件をはじめ、兵庫県の高校教育の問題が噴出する中で、
同学園の営みは、現在の管理・選別教育の袋小路を逆に照らし出す形
で痛烈に浮かび上がる。
 読者は、感動の波を何度もかぶるだろう。一読を薦めたい。
創元社 1500円)
 
朝日新聞(グリーンフアミリー誌)1991年10月別冊教育特集号 
(著者と生徒との写真掲載)
「教育インタービュー」
「すべての子供たちの善と可能性を信じて」
 「高校進学を果たせなかった生徒。世間が“落こぼれ”と突き放した
子供達を預かって育てたい」と七年前、開校した「神戸暁星学園」。
 現在までに千人を越える生徒を育て,社会に送り出してきた。
 同校の創立者であり、名誉校長の中原武志さんが同校の教育現場
から、いかに子供達を育てていったかを示した著書「教育の原点を
求めて」が十一月に出版される。中原さんに自らの教育体験を聞いた。
* 学校創立のいきさつは?
 「教育とは何か?という議論が多く交わされますが、現実には従来の
学校制度の枠から取り残された子供達がたくさんいます。私自身は学歴
とは無関係にさまざまな職業を経て社会では生きてきました。“おち
こぼれ”といわれる生徒を育てたいという率直な気持ちからです」
* どのような指導を?
「『生徒の善と可能性を信じる』ことだけです。子供達は精神的にも
まだ成長途中の部分が多い。いわゆる“わがまま”“やんちゃ”とも
いえます。それを押さえつけたり、規則だけで縛らずに、彼らを受け
止め、少しずつ成長していく彼らを待ってあげるのです。数々の問題
や失敗もありました。でも、私達はどんなことがあろうとも、子供達
の側に立ち、彼らの言葉を聞きつづけました。生徒を守り信じること
で殻に閉じこもった子供達が次第に心を開いていってくれるんです。
凍っていた種が溶けて芽を出す様に・・・・。」
 * その結果は?
「生徒達を教師がまず理解し、根気強く接した結果が卒業生,在校生
に表れています。
数々の実体験を通じて,私は自分の考え方が間違っていなかったと
確信しています。
“子供の善を信じる”など甘いことを言っていられないという声も
あります。特に教育現場にいる人の中に多い声です。
 教育は子供の持っている個性を充分に伸ばしてあげることだと思
います。そのためには、ただ生徒の成長を妨げないように,見守って
いるだけだといえば非難されるでしょうか。
 私の意見は、学歴偏重主義の方々には決して受け入れられないも
のでしょう。しかし、親の一方的な押し付けが子供の人生を良くない
方向へ変えてしまっている現実を、私は余りにも多く知っています。
 我が子可愛さが、子供の限りない可能性を奪ってしまいかねない
ように、親は、“なにがしあわせか?”を今一度考えるべきではな
いでしょうか?」
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