中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(87)

 私のここまでの人生の中には「雇われ人」としての期間はとても
短いことは、ここまで読んで下さった方はご存じだと思う。
15歳~18歳までと、20歳半ばから23歳半ばまで。そして
28歳の半ばから30歳前までだから、合計しても8年もない。
それに47歳からの迷いの2年間が加わる。だから合計10年間と
言うことになるが、当時は厚生年金に加入していないところが多く、
それまで働いた場所で、私の年金に加算される企業でのものは4年
間に満たない。もちろんその後は自分か起こした法人でのものが加
算されるが、それでも私の受け取る年金は13万円と少ないものだ。
年金を考えるときちんとした企業に永年務めることがベストだが、
今の時代も正社員採用が少なくなってきており、そういう意味では
、私が生きてきた時代と重なる部分があるかもしれない。
 とにかく15歳から住込みの丁稚奉公に出てから49歳まで、のた
うちまわって生きてきたというのが本音である。
 のたうちまわり、もがきながらもそれなりに懸命に生きてきたこと
が私の誇りでもある。やってきた仕事は、それなりに成功してきたし、
評価されてきた。それまでの生きてきた証が何らかの形で生きる仕事
があるはずだといつも考えていた。
 その頃、(49歳)「ライフロング・エデュケーション研究会」と
言うグループを作った。グループ作りは私の得意とするところで、それ
までも、その後もいくつも立ち上げた。
 ライフロング・エデュケーション研究会には中古家具販売会社の社
長や八百屋のおっさんなどいろんな人を巻き込んだ。ライフロング・
デュケーション研究会は、直訳すれば「生涯教育研究会」だが、いま
どきの教育を考えようと言う趣旨で呼びかけて集まってもらった。
グループ作りが得意だと言うことは、日ごろから語りかける人たちを
多く持っていると言うことでもある。かと言って私は酒を飲まないし
夜の付き合いも上手ではない。だから真面目な付き合いの中で生まれ
る人脈だけに、話し合う内容も真面目なものだった。
 建設会社では、才能なのかどうかはわからないが、私の持っている
ものが生かされないのではないかと悶々としていたある日にある出会
いがあった。その日を境にして私の人生が大きく転換する。