中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「旅の思いで」(4)(5)

オーストラリア・パース及びシドニー発行の「JAニュース」紙に
エッセイ・コラムを連載して15年以上経ちます。
これまで「旅の思いで」(1)~(3)までをこのブログに掲載して
いますが、今回は(4)から(7)まで4回分を掲載いたします。
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旅の想い出(4)
「マイアミ&キーウエスト」(アメリカ・フロリダ州)(2)
 
 初めてマイアミに行った時、ほとんど何の知識も持っていなかった。日本人にとってフロリダは遠過ぎる土地でもあった。今のようにインターネットで簡単に検索できる時代であれば多くの知識も持ってから出かけたであろう。しかし、何もかもインターネットで調べる単調さとは別に、当時の月間旅行雑誌「エービーロード」を買い、徹夜で眺めながらいろいろと考えるのも楽しかったものだ。家内から「根気がいいね」と言われるほど雑誌と長時間向き合っていた。そのおかげで、とても経済的な飛び方を覚えたものである。日本→アメリカ西海岸都市→東海岸都市→フロリダ半島→西海岸都市→ホノルル→日本と飛んで約6万円から8万円程度だった。だから何度もコースを変えながらあちこちに出かけた。
 
ヘミングウェイが住んだ島
マイアミ市やマイアミビーチ市を何度もうろうろしていたので、映画やドラマの風景に懐かしさを覚えることがしばしばである。個人旅行なので、縛りがなく自由に行動できるのが楽しい。失敗も多いが、その分思い出も多いということになる。
マイアミも飽きてきたので、どこか他に観光地はないものかと地図を見ていて気がついたことがあった。フロリダ半島の先から南に向かって海の中に国道1号線が描かれていたのだった。何だ、これは…どうして海の中に国道が?と思って調べると、その先にキーウエスト島があることが分かったという次第である。
あの「老人と海」などが高く評価されノーベル文学賞をもらったヘミングウェイがここに住み、あの作品もそこで書かれたものだったのだ。早速バスに乗って出かけた。
2度目に行った時には、大きなアメ車(リンカーン)を借りて、娘に運転させて行った。娘は当時ハワイに留学していたので左ハンドルと右側走行に慣れていたからでもある。
 
海の上をひた走る
 キーウエストは400以上もある島々から成っている。フロリダ半島の先から国道1号線で島から島を結びながら延々240キロも走る。サンゴ礁でできている島の海面すれすれの道路もあり、橋だけでも42カ所ある。
最も有名な橋は「セブンマイル・ブリッジ」で、ペプシコーラの宣伝などに使われていたのでご存じだろう。セブンマイルということは11キロ以上もの長さの橋である。セブンマイル・ブリッジは2本あって、1本は1912年に鉄道橋として作られたものだが、ハリケーンで壊され、橋は途中で切れているが、風景として絵になっている。現在使われているのは、1982年に新しく作られた橋である。セブンマイル・ブリッジを渡る時の爽快さは、うまく表現できない。右がメキシコ湾、左がカリブ海、澄み切った美しい海がそこには広がっていて、とてつもなく美しい。一生忘れることのない風景の一つである。
 島々の海面すれすれの道路には驚いたし、珍しくて楽しかった。この道に沿ってたくさんのヨットハーバーも目にした。おそらくこの辺りは世界一の保有数だろうと思った。
 とにかく、島から島、橋から橋という感じで4時間以上走り続ける。そのほとんどは海の上か、海のすぐそばである。おそらく他では経験できないだろうと思うほど素朴で美しい風景のドライブなのだ。バスで行くと座席が高く見晴らしは良いが、乗用車で行く場合の、海との近さを味わえない。私たちは、そのどちらも経験することができたので幸せだった。
 キューバが見える日も
 キーウエストは、小さな町である。大きなハリケーンが頻繁に襲ってくる町でもあり、家の造りが小さく屋根も低く作られていたので、ミニチュア的な感じのする町だった。
 ヘミングウェイが住んでいた家は、現在は博物館として一般公開されていて、彼が大好きだったという猫が今も何匹も闊歩(かっぽ)していた。
 島には、サザンモスト・ポイントがあり、記念写真のポイントにもなっている。ここは、アメリカ領土の最南端になり、ここからキューバまでは144キロで、空気の澄んでいる日にはキューバが見えるという。
町にはコンク・トレインという可愛(かわい)い小さな汽車の形をした乗り物が市内観光として人気がある。乗ってみたが、40分ほどで街を一周した。
ハーバーから船が出ており、それに乗った。船の底がガラス張りになっていて、海の底が見えるようになっている。サンゴを見たことは覚えているが、他に何が見えたのかさっぱり記憶にない。
結局、キーウエストにも4度訪れたが、こんな遠い地まで何度も行こうと思ったのは、やはり海の上を走ってゆく快感だった。機会のある人には一度はぜひ経験していただきたいと思う。
パースに移住してすぐのこと。地図を見ていると海の上に橋があるではないか。家内と思わず顔を見合わせた。そして、にやっと笑った。すぐに行ってみようと車を走らせた。
そして橋があった。何も考えずに橋を渡ったら、検問があり「ここは海軍基地です」と追い払われたものだ。キーウエストまでのあの美しい道路の思い出が、そんな失敗をさせたのだった。
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旅の思い出あれこれ(その5)
 フィレンツェ(イタリア)
 
 フィレンツェは、映画やドラマによく登場する観光名所でもあるので、訪れた方は多いだろうから観光案内的なことはなるべく書かないようにしようと思っている。
旅というのは、人によって味わい方が違う。名所旧跡巡りが好きな人、買い物が好きな人、人々と交わるのが好きな人など、それこそ人さまざまだと思う。
 私はというと、その町に住んでいる気分になりきって、休日を楽しんでいるという過ごし方が好きなのだ。だから、名所見物はほどほどにして、ぶらぶら歩くことを楽しむようにしている。普段はあまり歩かない私が、旅行中には朝から晩まで歩くので、家内はいつも驚いている。
 フィレンツェといえば、メディチ家の数ある物語とルネッサンスの中心的な存在ということで世に知られている。以前に書いたことがあるが、メディチ家とフランスとの関係は深い。もともとフランス料理というのは田舎料理だった。1533年にイタリアのカトリーヌ・ド・メディチをアンリ二世の王妃として迎えた際、カトリーヌは、フィレンツェから多くの料理人を伴って輿(こし)入れし、フランス王室の食卓を変えたのが始まりだと伝えられている。当時は小さな戦争があちこちで起こっており、フィレンツェ側が軍事力のあるフランスと手を組もうと、アンリ二世とカトリーヌ・ド・メディチ嬢の政略結婚を成功させたのだった。その後も1600年にアンリ四世へフィレンツェメディチ家の娘マリが嫁ぎ、二代続いてイタリア食文化を受け入れている。金融業で栄えたメディチ家は、良い意味でも悪い意味でもフィレンツェの代表的な存在だ。
 ミケランジェロの傑作である「ダビデ像」もここで観(み)ることができる。歴史的な街だから、歴史書をひもときながら巡るのも面白い。
 さて、私のフィレンツェ体験記である。フィレンツェには3度訪れている。最初は一人旅。2度目は学生を連れての修学旅行であり、3度目はパースの友人T夫妻との旅だった。
 印象に残っているのは、最初の訪問の時だった。一人でぶらぶら、のんびりと過ごしただけに、記憶に残っている。
 アルノ川が町の中心を流れている。この川の左岸・右岸に沿って長々と歩いたものだ。街中の喧騒(けんそう)とは違って静かな雰囲気が漂っていた。そこには中世の面影を残した建物があちこちに見える。古い昔のこととて建物の名前は忘れたが、夜に小さなパーティーがあり、参加したことがある。とても幻想的なパーティーだった。
 街中には小さな店が立ち並んでいる。道幅も狭い。フィレンツェは、宝石商や皮製品の店が多い。観光シーズンに行くと人ごみで狭い道が溢(あふ)れ、混雑していて良い印象はない。
 T夫妻と一緒に行った時は夏の観光シーズンだった。T氏は、かなり用心していたが、それでも小さな店に入った時に、背負っているバッグのチャックが開けられていたのには驚いていた。幸い何も被害はなかったが、観光シーズンの混雑に紛れてのすりが多い所だけに、油断できない。
 私が初めてフィレンツェ行ったのは2月だったから、混雑はなかった。やはりゆっくり観光を考えるならシーズンオフがお勧めだ。この感想はすべての観光地にもいえることで、シーズン中に行くと、本当の意味での観光はできないと思った方がよいだろう。
 夜、街中をぶらぶら歩く。ショッピングを楽しむというよりウインドウディスプレーを楽しむ雰囲気で歩く。やはりフィレンツェならではの珍しい商品も多いので、店に入り手にとって鑑賞する。黙って商品に触ると嫌われるので、必ず承諾を取ってから商品に触れるようにしていた。
 ある靴店では、日本語とイタリア語の会話集を見ながら、約1時間ばかりおしゃべりを楽しんだことがある。売らんかな、というような態度は一度もなく、純粋に会話を楽しめた。イタリア語はローマ字読み発音で結構通じるものだ。暇な時期だったのであのような時間が持てたのだと思っている。
 ある夜のこと、ウインドウに私の好きな色柄のネクタイが飾られていたので店に入った。結構大きなネクタイ専門店で、高さ2メートル幅6メートル程度の所に引き出しが縦横にずらりと並んでいる。縦に15段、横に12列ぐらいの棚だった。
私が「ウインドウのネクタイを」と言うと、一つの引き出しからさっと取り出して包んでくれた。支払いを済ますと、別の引き出しからネクタイを出してきて「これはいかがですか」と言う。ぴったり私好みのネクタイだったので金を支払う。と、すぐに別の引き出しから次のネクタイがという具合に出てくる。どうしてこうも私の趣味が分かるのかというほど的確な選択に驚きながら6本も買ってしまった。もう1本と出してきたが、笑いながら「もう結構です」と辞退したものだ。
 ヨーロッパで買い物した人には、同じような経験があるかもしれない。私は、その後あちこちで経験したが、日本のように若くてきれいな店員さんではなく、客を見れば趣味の色や、スリーサイズなどが分かってしまうような熟達した店員が多いものだ。そこに「外国」を感じながら楽しむのが好きなのである。