中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(134)私を守ってくれたのはだれなのか

 《娯楽は麻雀とゴルフ》

パース在住中に、週一度は気の合う仲間が集まって麻雀を楽しんでいた。 わたしは移住前にやっと麻雀というものを覚えた程度であり、将棋で言えば駒の動かし方が分かった程度の初心者だった。

相手は何十年も打っている人たちであるから、常に「カモ」にされていて「貢くん」と言われていた。 半覚えでやっているのだから、よほど配牌がよく、ツキに恵まれなければ勝てるはずがない。

帰国してから、プロの雀士たちのゲームをテレビ観戦して、やっと麻雀の本質が分かったというほど、いまなら対等に打てるかもしれないが、腰が痛くて麻雀などできるはずもない。 

 言い換えれば、勝負ごとに疎かった、弱かったということは、人生にとって幸いだったと思っている。勝負事に、のめりこむようなことがなかったからである。

      《将棋の3段免状受ける》

 時間があるから将棋の勉強もしたが、さまざまなテストの結果、一気に三段の免許を日本将棋連盟から預けられた。それから年月が経っているので,いま4段を申請すれば羽生会長と八冠の藤井さんの名の入った四段の免状がいただけるそうだが、金額が高すぎて諦めざるを得ない。

ユーカリという木の不思議》

ゴルフは、週に一度以上は、どこかのゴルフ場で楽しんでいた。どこかのというのは、近辺にたくさんあるからだ。

 ゴルフ理論はよくわかっているつもりだが、体が思うように動かない。 100を切れば大喜びできる程度の腕前だった。それでも初心者のころ、日本で83で回ったこともある。

 35度以上もある猛暑の中、カートを引いて18ホールを回る。 大きなユーカリの木が黒焦げになっているのを、どのゴルフ場でもよく見かける。 ユーカリの葉がこすれあって発火することが多いらしく、豪州では各州とも、夏の季節になれば 「ブッシュファイアー」と呼ばれる山火事が発生する。

西豪州でも過去にはそういうことが多かったのだろうという面影が、ユーカリの大木の姿の中に見ることが出来る。

大火事による高熱で、ユーカリの種が割れて発芽し、ブッシュが再生されてゆくのだ。 ユーカリの種は高温にならないと割れない。それらは自然の摂理であろうが、ブッシュファイアーを繰り返し、再生を繰り返して今に至るのであろう。

ゴフル場に残されている、大木の一部が真っ黒に焦げたユーカリの大木を見るたびに、自然の偉大さに触れることになる。

ユーカリという木は、決して美しいとは思えないが独特の雰囲気のなる樹木ともいえる。 日本のように多くの雑木が色鮮やかに紅葉することもない。アフリカとオーストラリアでしかユーカリのブッシュを見ることが出来ないが、乾燥した風土に耐える樹木として栄えたのだろう。 

コアラという動物は、毒が含まれているユーカリの葉だけを食べて生き延びる。自然界には、不思議なことが多いものだ。

一口にユーカリというが、木の種類はたくさんある。わたしが日本に持ち帰った食卓テーブルセットとソファーは「じゃら」という種類のユーカリで作られていて、とても硬くて重いのだが、オーストラリアではじゃらの木でつくられた家具は丈夫で長持ちすると喜ばれている。