中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

タンパク質を考える(22)明日の分

(明日は妻に手術日で、書く時間はないと思うので、早めて明日の分を書きました)

 

 陸軍の「脚気問題」はビタミンB1のことだった。それが足りないだけで

脚気になるのだから、わたしたちの身体は敏感なのです。 体内で合成できない

必須アミノ酸などは食事でしかとれません。アミノ酸不足だとタンパク質も

つくれないですから大ごとです。

 私は子供のころには米が少なく、白いご飯は年に数度だけ。あとは麦を混ぜた

「麦飯」というものだった。不味いものだったが、それをずっと食べていたのが

良かったようなのだ。

 問題は副菜で、昔の副菜は種類も少なく、いまとは大違い。現在私が食べている

ようなものは殿様級だと思っています。 昔の殿様でも私たちが食べているような

物は食べられなかったかもと思います。

 食材というものは、あらゆる野菜類、肉類、果物類に含まれています。

肉も種類ごとに、野菜も果物も種類ごとに成分が違います。食べ方によっても

身体に入る成分が違ってきます。

 成分一覧表を見ただけでは、参考にはなっても現実とは違うことになります。

健康を保つには、ウイルスなどの外敵に強い体をつくることと、生活習慣病

いわれるものに配慮することです。

 DNAが要求するものを食し、そしてDNAによってもたらされる最高のプレゼント

が健康体を作ってくれるのです。

 とはいっても、人それぞれに事情があります。わたしは80歳から89歳になる

まで、ずっと骨折が起こり、その為の腰痛に悩まされていますが、わたしの場合は、

6歳の時に池で溺れたことがすべての始まりです。

 父が私を木のタライに乗せて、二歳上の叔母になる子供に泳ぎ方をおしえていた。

バランスを崩したのか、タライがひっくり返り私は溺れた。 父の懸命の姿勢術で水を大量に吐き出し、命を取り留めましたが、当時の田舎には耳鼻科などなかった。

 以後、長いあいだ耳から出る膿に悩まされた。 20歳の時、大阪の病院で盲腸の

手術を受けた。その病院内の耳鼻科の医師が私にこう言った。

 「これは、真珠腫というもので骨を溶かしながら進んでいく。脳まで達したら

危ない。脳内に入ると救えないという病気だ。だが、現在は手術でさえできない。

その内に医学が進歩して手術ができるようになるかもと思う。どこに住んでいても、

耳鼻科の名医を見つけておくように。もし、大きな眩暈がしたら、脳に迫っている

というシグナルだから、名医のところに駆けつけるようにしなさい」と。

 その言葉を聞いてから20年後、神戸の三宮で大きな眩暈が私を襲った。探しておいた名医のもとにタクシーで駆け付けた。顕微鏡下で6時間という手術が成功して、

真珠腫は治った。が、耳が鯨飲で鼻も患い、鼻を患っている多くの人がなるように

喘息になった。 それで大量のステドイド剤を服用するようになり、骨粗しょう症となって、骨がもろく、次々と骨折が起こった。

 言い換えれば、あの時に溺れていなければ、違った人生になっていただろう。