中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人生の最終章に何をどう感じながら生きているのだろうか(3)

人生の最終章に何をどう感じながら生きているのだろうか(3) 

少し長いが、まじめに書いたので最後まで読んでくださいね。

  ある日突然に、私の脳裏からすべての記憶が失われるのではないかと思うことがある。さまざまな音が入り混じった雑音だが、その中でも特に気になるのはマイクのハウリングのようなキ~ンという高い音だ。NHKの放送終了時にも高い音が流される。時には火災警告ベルの音もある。これらの雑音が24時間、頭の中で鳴り響いている。尿意を催して夜中に目覚めたあとには、静かなベッドルームの中で,この頭鳴りのために眠られず苦悶したこともしばしばで、楽しいはずの音楽を聴く気にもなれず、何度も自死を考えた。いろんな病気をもっているが、この症状には未だに病名さえ付けられてはいない。

私は「好酸球副鼻腔炎(指定難病306)」もある。耳鼻咽喉科の専門医も数年前までは気付かなかったが、難病指定となって最近では広く知られるようになってきた。(関心のある方は検索してください)この病気を持っている人の多くは喘息にもなっているようだ。もともと慢性副鼻腔炎と喘息とは深い関連があったのだが、好酸球副鼻腔炎と喘息とは、より深い関りがあるようだ。私の場合は豪州に住んでいた頃に喘息になったのだが、病院内に交通信号が3か所もあるという巨大病院の検査で、これはアレルギー性の喘息ではないと診断された。当時の豪州で「好酸球副鼻腔炎」という症状がすでに知られていたことなのかどうか、英語が堪能ではない私には、当時の専門医の説明が十分に把握できていたわけではない。今から27年前の1994年だった。 同じころ、胃カメラ検査でピロリ菌が見つかり除菌を受けた。

兵庫県がんセンターが神戸医大病院の向かい側にあったころに「胃がんの疑い」を告げられ、1992年に豪州に向かう前にも「あちらへ行けば、年に2度は胃カメラ検査を受けるように」と言われていた。そのことを豪州の専門医にも伝えた。検査の結果、そんな心配は一切ないが、ピロリ菌は除菌したほうが良いと勧められた。

日本ではピロリ菌の除菌が保険適用になってからまだ10年にも満たないだろうから、豪州の医療の先進性がうかがわれる。

私の喘息が「好酸球副鼻腔炎」が原因だったからなのかどうか、ステロイド錠が治療に使われた。それから20年以上経った頃に第1腰椎の圧迫骨折が起こり、それ以降、第2、第3、第4、第5の腰椎圧迫骨折が続き、比較で、第3腰椎辺りが悪化しているのがみつかった。普通、骨折の場合は3か月4か月たてば骨折部分は治癒に向かい痛みも軽減するのだが、悪化していたとは思いのほかのことだった。難治性疼痛ともいわれる「偽関節」(検索してくださいね)が発生していたのだった。これからは、痛みと闘いながら生きるよりほかない。

 3歳から抱えた慢性真珠腫がやっと手術ができるまでに医術が向上したのは40歳だった。3歳から右耳が聞こえなくなっていた。 真珠腫は19歳の時に専門医から「これは真珠腫だというのだけど、現在の耳鼻外科では手術ができないが、外科医療が発達して、いつか手術できる日が来ると思うよと告げられていたのだった。

 70歳で「前立腺がん」が見つかり帰国して治療を受けた。前立腺がんの場合はすでに隣の臓器に浸潤していたが、16年経った今、克服したかに思える。 痔も持っている。この話でジ・エンドとしたいのだが、こうしてまとめてみると、頭鳴りの原因は全くわからない。

慢性副鼻腔炎になったのは3歳の時に池で溺れたことが原因だ。田舎のことであり、耳鼻科もなかった。慢性副鼻腔炎から真珠腫へと移行し、やがて好酸球副鼻腔炎へとなり、喘息発症につながったのだろう。 ステロイドの服用が進み、骨粗しょう症になり、骨がボロボロで圧迫骨折の原因ともなった。 それぞれに因果関係があるようにおもえる。 頭鳴り、腰の疼痛のどちらも24時間続くものであり、

医薬品の効果があまり期待できないということは辛すぎる。

 これらの諸症状から、何を学び、なにをどう考えるか。まだ答えは見つかっていない。