中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日々老化していくわが身から考える(1)

 私は83歳と5か月。まだ若いという人もいれば、凄い年寄りだなと思う人もいるだろう。
私の母が死んだのは83歳だった。今の私と同じ歳なのだ。その時、わたしは母の死を
早すぎるとは思わなかった。長生きだったな・・と思ったぐらいだ。 母は喘息を持っていた。
その症状を思い出すと、今の私の喘息と同じタイプの喘息だったようにおもう。いわゆる
喘息発作などがないタイプの喘息で慢性副鼻腔炎が主原因で様々の症状を引き起こす
ものだったように思える。
 今の私なら、母親に良いアドバイスをしてやれただろうと思っているが、母が亡くなった
直後あたりに私の喘息が始まったということで、母の喘息についての知識は当時の私に
なかったことが残念でもある。
 それでも、母の症状を見ていて(当時、母と会うのは年間に数度程度だった)母の主治医
の医師に(内科医)「母の喘息は慢性副鼻腔炎が原因ではないですか?鼻の治療をお願い
出来ませんか」と、お願いしたことがある。 その時、その内科医は「鼻と喘息とは関係は
ありません」と、キッパリと言ったのだった。まるでお願いした私を馬鹿にするような言い方
だった。 しかし、私の直感の方が正解だったことが後に判明したのだった。
 自分が喘息になったのは豪州に住んでいた時だった。医師は慢性副鼻腔炎が原因だと
明確に教えてくれた。慢性副鼻腔炎の人の多くは喘息になる可能性が高いと教えられた。
現在の医療界では常識になっているのに(丁寧に調べてみたら、わたしが母の主治医と
話した2年後には医学部で教えていたという。だから、内科医はすでに学会などで発表されて
いたことを知らなかったのではないかと思っている)
 わたしの場合は6歳の時、池で溺れて死にそうになった後に中耳炎になり、やがて真珠
腫へと移行したが、慢性副鼻腔炎になったのも、それが原因かとも考えているが、母からの
DNAの可能性もあるだろう。
 二歳半で母と別れたわたしは、その後の生涯の中で母と会った回数は多くはない。
今年になり、自分が母の亡くなった年齢にさしかかり、母が抱えていたかもしれない体調不良
の悩みをもっと知ってやればよかったのにと後悔の念がある。 とはいうものの、所詮人間は
馬鹿なもので、自分で経験しないと分からないものらしい。自分が経験して、やっとこういう
ことだったのか・・と気づくもののようだ。
 今の私の身体が、毎日のように「音とたてて壊れていく」ような感じがしている。人間の
身体は車のような機械ではないから、ガタガタと音を立てて壊れることはないが、意識的には
音を立てて 崩れて行っている感じなのだ。 (2へ続く)