「三種の神器」その4。
三種の神器は、その後にも変化しながら続きます。
カラーテレビ、自家用車、クーラーの時代がやってきたのです。
ここでも意外なことにクーラーの普及が遅れたのでした。
私も、カラーTV、自動車の順に買っていました。
ついでに日本の自動車について書いておきましょう。
日本の自動車は欧米に次いで進歩していましたが、
多くは軍事産業としての進歩だったのです。
私は3歳の頃に日産のトラックの助手席に乗せてもらったのが人生最初の車経験です。
大阪市内では市電の路線が縦横に張り巡らされていました。
その中を(馬車が)荷を積んで運び、馬が馬糞を落としながら働いていました。
昭和13年の頃の話です。
おおきな運送会社が直ぐ側でしたから、子供ながらもよく観察していましたが、自動車は馬車の5分の1程度でした。地下鉄もあり、市電が縦横無尽に走っているのに、何で馬が糞をしながら運ぶ馬車が多いのだろうと思っていたものでした。
生産されたトラックの殆どは、戦地(中国、満州)
などに送られていたのです。
戦前は1925年からフォードの、1927年からはGMの車を日本でノックダウン方式で組み立てていました。
ジーゼルエンジンは日本が開発したもので軍用車、戦車に使われていたのです。
戦後は、自動車生産がGHQによって禁止され、
イタリア、フランスなどからの車種を日本で組み立てて販売されるところからのスタートだった。
、いすゞが英国のルーツをノックダウンしていましたがが、トヨタはこの路線を選ばず、生産禁止が解けるのを待って生産を始めたのです。