中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

あんなこともあった(10)

昨夜「カムカムエヴリバディ」のことに触れたとき、そうだ、あのことなどを書いておこうと思い立ちましたので、宣教師との出会いなどを数回書きましょう。

そもそもすべての始めは中学卒業時でした。

新制高校3期生となる年代ですが、1年生から入学するのはわたしの学年からでした。

誰でも入学出来る学年でもあった。中卒で就職する生徒が多かったからだし、勉強嫌いな生徒も多かった。

担任の泉教師と、小学6年生の担任の梶原先生(後に中学校長となった)まで、我が家に来てくださり、祖父母を説得するために努力してくださったのだが

遂に首を縦に振らなかった。

他のクラスの担任だった東田先生が、(私の親戚の馬場薬局に住み込みで働いてもらえないか)とのことで、そうするしかなかった。

淡路島の薬局、薬店に薬の注文を取りに行って、届けるのが私の仕事で、月に一度の休み以外は、毎日

自転車で島内を走っていた。

薬局の親戚に歯医者さまがいた。その方の助言だったらしいのだが、(あの子を日曜学校に往かせては)と言うことになったらしい。

両親、兄弟もない子を預かるのは大変よ。もしグレたら困るでしょうと心配してくださったらしい。

歯医者の娘は2歳歳上だったが憧れの美女でもあった。

そんなこんなで、毎週日曜日には(日曜学校へ行ってきなさい)と、言われて行くようになったのが、教会との出会いだった。

15歳の頭には、文語体の旧新約聖書が、スポンジに水が吸い込むように入っていったものです。

色々あって、翌年には大阪の島之内教会に行くようになりました。

(その間にもいろいろとあるのですが、今回は宣教師との出会いを書くために、どんどん飛ばします)

続く。