18歳の頃、琵琶湖で初めてヨットに乗せてもらった時期のあと、あるキリスト教会で賀川豊彦先生に出会いました。
賀川豊彦先生は、牧師として大きな功績があるばかりではなく、(神戸生協)を産み出した人でもあり、日本に生協を普及させた功労者です。
初めて出会った私と一時間ばかり会話したあと、
「君は牧師になって多くの人を救いなさい」と仰るのです。
先ず、加西市にある(飯盛野キリスト教会)で岩塚牧師が運営している(伝道学校に、予備校として)即座に入学しました。
岩塚先生は兵庫教区の重要な役割をされていました。
飯盛野教会では初めて(宣教師)に出会いました。
35歳前後の方で奥さんと一緒に赴任されていました。
初めて外人と直接向き合う。
伝道学校には5人の先輩がいました。当然わたしより年上の方ばかりでした。
午前中は農作業を、午後と夜は厳しい勉強会の日々でした。
飯盛野教会は北米で20世紀初頭に流行った最先端の設計をもとに建てられたお洒落な建築物です。
私が行った頃は、約70年前ですから、建築後二十年後ぐらいだったのでしょう。
幼稚園が併設されて二年後ぐらいでした。
宣教師宅にも英会話レッスンのために度々伺いました。
驚いたのはアメリカの家電でした。洗濯機、冷蔵庫
などが大きく立派でした。
日本には未だ家電がない頃の話です。
アメリカの家庭では、ごく普通に普及していると云うことでした。
自転車にも驚きました。
5段チェンジの自転車など日本にはなかったからです。
宣教師との出会いは、欧米の文化を知るきっかけとなりました。
続く。