中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

現在進行中の出来事は、みんなバーチャルの世界なのか?(2)

 いま起こっていることが、どれもこれも、何もかもバーチャルの世界での

ことだと思うと、恐怖も何もない・・・と、いう不思議な体験をすることになる。

九州で起こっている信じられないような豪雨被害までもが、次元の違う別世界

での出来事だとしたら、どれほどホッとすることだろうか?

 新型コロナウイルス飛沫感染ではなく空気感染だぞ!って言われても

あゝ・・・そうだったんだ・・・と、軽く受け止めてしまう。 そこに現実味がないと

いうことは、こんなにも気楽なことだったのだ。 接触感染、飛沫感染、空気

感染となると・・・実は大ごとだ。 新型コロナに対して防戦ができないことに、

なってしまう。これまでの鎧兜での武装など役に立たないことになって、防ぎ

ようがないではないか!!!と、心配のあまり大声を出してしまいそうだが、

仮想の世界のことならば、なにが来たって怖くはない・・・という心境になって

しまうから不思議だ。

 実は、私はバーチャルな世界を描いたような映画をほとんど見ない。

嘘っぱちの映画を見ても面白くないだろうと思ってきた。 なえあのような

映画が受け入れられえるのか?と不思議でさえあった。 世界の多くの

人々が、現実に向かいかうことに疲れ果て、バーチャルの世界を仮想

体験することで救いを求めていたのではないかと思ったりしている。

 そういえば宗教なども一種のバーチャルの世界なのだ。 神様をみた

人も仏様をみた人も、天国をみた人も、地獄をいた人も・・・・誰一人も

いない。 そう言うことに思いを巡らせば、あるかもしれないなどと信じて

いるだけで、信じる者は救われん・・・というだけに過ぎない。 だがしかし、

インドの「0」の概念はすごい!! すばらしい!! ゼロを考え出した

インド人とは何と凄いのだろうとおもう。 ゼロがなければ、何も始まらない。

何もかもがゼロから出発しているのだ。中国もエジプトも、ギリシャもゼロ

を考え出すことはなかった。 ゼロこそは、バーチャルでない確実な存在で

あり、信じるに足るものであるとおもう。 ゼロがなければコンピューター

だって作れなかった。 ゼロを信じることによって・・・私は危うくバーチャル

の世界から現実の世界に戻ることができている。 だが、バーチャルの

世界に溺れる者が多い。 それは株式投資にあらわれている。