人生の岐路といっても、たくさんあり過ぎて書ききれません。
だから、、思い出したことを少しずつ書いていきますね。
だれにでもあることだと思いますから参考になるかもしれません。
今日はもう遅い時間なので、少しだけ。 48歳のある日、以前に
週刊誌の記者をしていたという人と昼食をとっていました。時々
かれがさそってくるのでした。ある日、食事中に「中原さん、あなた
ほど教育問題に詳しい人はあまりいませんよ。高校を作ったらどう
ですか」というのです。そんな~、とてもとても・・と、私は言い
ました。かれは、いや・・あなたならできる・・と言うのです。
ただこれだけの話なのです。ところが、彼と別れて1時間後に行動
に移していました。直感というほかありません。神が降りてきたと
言っては大げさですが、なぜか行動していました。50歳で学校が出来
ました。とても簡単に書きましたが・・それはそれは、とんでもない
ほど苦難の連続でした。開校した年の入学生は18名でした。
30歳代の初めの頃だったと思いますが、宮城まり子さんの「ねむの木
学園」に感動をしていました。黒柳徹子さんの「窓際のとっとちゃん」
を読んで、こんな学校がいいな!!と。この校長先生のようなことを
してみたいと・・ずっと思っていました。 だから、教育とは何の関係
もない人たち(中古家具屋の社長もいましたね)を集めて教育論議をして
いたものでした。そういう中での彼(先ほどの)の言葉だったのです。
18名の生徒と、(教員は5名)素晴らしい一年間を過ごしました。いまも、
その日々が忘れられません。2年目からは、毎年200名が入学してきました。
あの日、あの時、かれが一言、あんなことを言わなきゃ、やってなかった
でしょう。学校が出来てから、かれに顧問になるか・・て、いったら、かれは
俺は一言いっただけだから、全部あんたが一人でがんばったからできたんだ
よって・・顧問は辞退されました。 過ぎ去ったことですが、とても神がかり
(仏がかり・・かも)不思議な力に支えられて、奇跡が起こったのです。
だれでも、普段から願っていれば・・あるとき・・何かが見える時があるの
ではないでしょうか。