これまでなんど書いてきたことか・・でもいつも言うことは
同じで読む人は深いかもしれないが、私の本心だから許して
頂きたい。
「文科省の役人たちはアホばかり」というのが決め台詞に
なっている。 どうしてそんなことを断言するのかというと、
私が高校を作ろうとした当時(35年前)からの文科省との付き
合いで常に感じてきたことなのだから。
いったいお役人たちは、なにを考えて教育内容をいじくって
いるのかが見えてこない。あの「ゆとり教育」も失敗だったのは
その代表的なものだ。
今回は国語がいじくり回される。2022年度から実施される学習
指導要綱では「論理国語」が新設され、「文学国語」との選択制に
なるという。どうして論理国語が要るのかと言うとAI時代に向けて
AIが理解しやすい論理国語を優先したいようだ。
文学国語という言い方もへんだが、少なくとも文学が人々にあたえる
影響は大きい。文学などと気取らなくとも小説を読んで感動を覚えて
人生に役立てた人も多いはずである。AIが理解しやすい国語などという
のは味気ないものではないだろうか。 ただでさえ、本を読まなくなって
いる若者が増えている。全国大学生協連合会の調査では、一日の読書時間
が「ゼロ」と回答した大学生が半数以上市を占めた。高校時代に全く読ま
なかった人のうち現在も「ゼロ」は70%を超えていると言う。言葉も文章も
生きていくうえで最も大切なものだと思っているが、読むことが苦手の人は
離すことも苦手のはずである。なぜならば「引出」が少ないからだ。
イギリスは有名は作曲家はほとんど出ていないが、文学では優れた人を
多く輩出している国だ。ある有名ゴルフクラブに入会したいと日本の財界
人が申請したが断られた。その理由は、かれは亜大の引き出しが少なすぎる
ということだった。本を読まないで引き出しを多く持っている人はめったに
いないだろう。引き出しとわたしたちは言うが、英語圏ではチャネルという。
沢山のチャネルを持つためには読書が欠かせない。論理国語を習って引き出し
が増えるとは思えないのだ。 文科省の役人たちは、多分・。・エリートばかり
だとおもう。エリートたちは世の中をろくに知りもせずに指導要綱を数年ごとに
いじくりまわしたがるものだ。現場も知らないから、頭でっかちの計画となる。
その一つが大学入試での英語検定問題だ。 小学校から英語を教える問題でも
現場を知らないエリートたちが思いついた(よく考えたのではなく・・思いついた)
ものを現場にやらせようとしている。いつの場合もそうなのだ。
中学が高校の国語には「北の国から」を使うとよい。あの中には考えねばならない
すべてもの問題が書かれている。論理的国語なんてまっぴらだ。