「頑固親父」さんから素晴らしいコメントをいただきました。コメント欄をご覧ください。
返信では長くなるので、私の考えをここに書こうと思います。
死んだらどうなるのでしょうね。信仰をお持ちの方と、そうではない方とでも考え方が
異なるでしょうし、信仰を持っている方でも「揺らぎ」があるのではと思っています。
私の母は、ある大きな宗教団体で「草創期貢献者」のような(はっきり覚えていません)
表彰を受けた人でしたが、亡くなる数年前に「死んだらどうなるのやろう?」と私に質問
したことがあります。 その質問にえっ??と思ったほど真剣でした。
自分の死が迫っていることを「察知」した時に思うことでしょう。私が母が死んだ年齢と
同じになって、いろんな、病気を抱え込んでいるので「察知」しているので、ブログに先日来
老いて行くわが身のことを書いています。
死が近いことは間違いないのですが・・それがいつかは分からない。差し迫っていつかと
言うほど切羽詰まっていない。でも・・近いのは間違いないし、仕方がない。
さて、死んだらどうなるのか??
私は若いころは熱心なクリスチャンでした。牧師になるべく東京にある(神学校)へ入学
して聖書学、説教学、神学などなどいろんなことを学びました。 しかし聖職への道を歩まず
経理の道を歩んだことが、後に高校を作るときにも役立ったと言えます。そして、いつのまにか
教会へ行くことが亡くなり、信仰心も消えていました。消えたというよりも経理をやったせい
でしょうか、つじつまの合わないことに納得がいかなくなったと言うべきかもしれません。
もちろん遠い昔に書かれた聖書が科学の進歩の中で辻褄が合わなくても、それはそれで
いいと考えていますが、トランプ大統領の支援団体のような、なにがなんでも聖書の・・・・
というような人たちとは私は一線をひいておきたいということです。
います。 ですから、本当なら死後に焼かないで埋葬し、自然に自然の中に戻っていくべき
だと思うのですが、それは望むべくもありませんから、仕方ないでしょうね。
でも・・魂だけはこの世から離れないで、いろんなことを見届けたい!!と思っていますが・・
どうなることやら。 まあ・・私のことを記億してくれている人が居る間は見守る立場で魂が
働いてくれるようにと願ってますが。
と思ってもいます。 またコメントください。