国と沖縄県が対立している。
ついに、政府の提訴で、司法に場を移して争われることになった。
「提訴は県民にとって(米国統治下の)『銃剣とブルドーザー』による
強制接収を思い起こさせる」と強い不快感を表明。「(基地負担を巡って)
沖縄の置かれてきた歴史はいくら何でもひどすぎる」と述べ、沖縄の苦難の
歴史を訴えた。
多分2年ぐらい前だったか、沖縄独立運動が広がるかもしれないと
書いた。
先日、この問題を妻と話し合った。妻は「沖縄県の人たちにはとても
辛い思いをさせていると思うけど、他に何か方法はあるの?」と問う。
まさしく日本中の多くの人たちが持っている感情であろう。沖縄の人たち
ごめんね、と手を合わせながらも、他の解決法が見いだせない現実をしって
いる。
アイデンティティーが政府のやり方を許さないだろうと、私は思っている。
日本人は、あまりアイデンティティーを持って生きている人は多くない。しかし、
外国ではそれがなくては生きていけないものでもある。
「アイデンティティー」を辞書でひいても理解できない人も、外国に数年間
でも住めば自然と理解できるようなものなのだ。
ここまで争いが強くなると、沖縄の中国よりを恐れてますます政府は強硬策
に出るだろう。憎しみ合いに関係は、日本の未来に大きな影を落とすだろう。
全国の各県が、沖縄の苦しみを分かち合う道はないのだろうか。