総選挙の結果を受けて、10年前の記事を掲載してみたい。
最近は、古い記事を載せることが多くなっているが、一つの原因は白内障で
画面がまぶしく見辛くなったせいでもあるが、6年前、8年前、そして10年前に
書いた記事をいま読み返しても古いとは思わないからだ。
2005年8月8日だったから、それよりも3年以上前に書いたものだ。
少々長いが、じっくり読んでみて下されば嬉しい。
長すぎて掲載出来ないようなので、2度に分けて掲載します。
JAニュース新聞 2002年3月号
小泉政権の行方
2月号のJAニュース紙はさすがだった。
小泉総理が田中外務大臣の更迭を決めたのが1月29日の夜だった。すでに印刷のための準備がすべて整っていた時期なのに、急遽「田中外務大臣更迭」の記事に差し替えた早業は、南半球の片隅にある月刊邦人紙などとは言わせない、格調を堅持する姿勢に拍手を送りたい。
田中外務大臣が更迭された。依願によるものという形をとってはいるものの「更迭」には違いない。「外務大臣の引継ぎ」が田中さんの主張する、真紀子―川口順子ではなく、田中―小泉―川口と言う順になっていて真紀子さんの機嫌が悪くなっている。そのせいか、川口外務大臣から真紀子さんに対して申し込んでいる会見も未だに実現していない。しかも、田中―小泉という引継ぎも行われた形跡がないのである。
小泉政権は発足後80%を上回ると言う異常な支持を受けたが、それは真紀子人気にも負うところが大きい。真紀子さん更迭直後の支持率を見てみよう。
83・4%―55%に一気に下がっている。
不支持にいたっては、朝日16%-36%、毎日12・5―34%、FNN12・55-40%と倍増以上になっているのが特徴的だ。これらの数字は真紀子人気がそのまま表れたというよりも、小泉首相に対して見極めが来ていた時期に「真紀子更迭」が重なった結果だと見るほうが正しいのではないだろうか。
それにしても田中真紀子さんは就任以来問題の連続だった。腐りきった外務省の改革と言う点に於いては高く評価はできるものの、その手法が幼稚すぎ、お嬢様育ちが前面に出てきた形の世間知らず的わがまま言動がはなはだしい。
5月9日=外務省の人事凍結を表明。
5月10日=アルゼンチン外相との夕食会を欠席。
5月11日=「外務省は伏魔殿」と会見で批判。
「心身ともにパニック状態になっていたから」と発言。
このように書き出せばきりがなく、字数の関係もあって書ききれない。確かに真紀子さんが起こした「問題」には幼稚すぎる点が幾つもあって、小泉首相も大変だろう思わせることが多かった。しかし、今年1月20日、24日と相次いだ鈴木宗男衆院運営委員長が関与したと言われるアフガン復興支援会議へのNGO団体参加排除の動きに対してとった真紀子さんの方針は、これまでになく筋の通った正しい指摘であったにも拘らず、今度はばっさりと更迭という形で飛ばされてしまったのである。真紀子さんにとってはまさしく「鳩に豆鉄砲」の心境であろう。
来日したブッシュ大統領に随行してきているパウエル長官から真紀子さんに「今日の宴会には出席しないのですか」と電話があったそうだが、真紀子さんは「招待されていませんから」と答えたそうだ。宴会への招待者120人の枠に真紀子さんは入れてもらえなかったのだろうか。福田官房長官は「招待した」と言い、真紀子さんは「招待されていない」とまたまた水掛け論である。国会での鈴木・田中対決も水掛け論に終止している。果たしてどちらが本当なのか?奇奇怪怪の押し問答である。このままでは真紀子さんは、大うそつきの異名をかぶせられかねないだけに、真紀子さんの今後の動きに目が離せない。
このたびの田中真紀子外相更迭と引き替えに鈴木宗男も衆院運営委員長の座を降りた。しかし、鈴木氏の場合は「田中降ろしを成功させた」としてヒーロー扱いする派閥もあるのである。小泉反対勢力は、現政権の羽を一枚一枚剥ぎ取って飛べなくさせていく戦略のようである。また一方、外務次官の座を追われた野上氏も官僚たちから、官僚の立場を守ったとして拍手されている。日本が現在これほどまでにていたらくになっている原因の一端が、エリート官僚によるものだと言う認識も官僚にはないようである。
さて今後の小泉政権を考えてみたい。
小泉政権を考える時に、国内問題だけに絞って考えるべきなのか、国際的視野で考えるべきなのだろうか?今回は国際的視野も含めて考えてみることにしたい。
まず、国内的に見てみるとデフレ対策の失敗である。首相に就任時にはすでにデフレ傾向にあり、デフレスパイラルに陥ると不況が本格化して立ち上がれなくなると指摘されていた。いま小泉さんがやろうとしている改革は村山・橋本政権の時にやっておかなければならなかったことである。村山、橋本政権がバブル後の処理を誤ったことが今日の苦境につながっている。デフレが顔を出してきているときにいま小泉さんが進めようとしている改革を推し進めれば、昭和恐慌のときに対策を誤って不況を深刻化させたフーバー大統領の二の舞になりかねないだけに心配である。立花隆氏の言葉を借りれば「手術は成功したが、患者は死んだ」ことになりかねない。
このたびのブッシュ大統領の来日で感じたことは、小泉首相のブッシュへの「へつらい」である。「媚び」である。大体私は「へつらう」人が好きではない。自分に自信がない人ほど権力とか上位の人に「へつらう」し、そのような人ほどいったんある立場にたった途端に威張る人になる。しかし、よく観察すると内容のない人が多いものだ。
癒着とも思えるほどブッシュに媚を売っている小泉さんをみていて、彼の自信のなさが浮かび上がっているのを感じた。その自信のなさの裏返しが、ブッシュとの共同会見に於ける、語気を強めていう「構造改革は何が何でもやる」という余裕のない態度に表れているように思えてならない。
ブッシュ大統領は就任以来その政策の方向に疑問点が多い。環境問題における重要な世界的合意の上の「京都議定書」を批准しないと国内産業擁護を宣言し、ミサイル防衛計画の推進など世界の世論を無視した一方的な政策を推し進めてきている。ブッシュ政権は、その誕生時から「戦争をやる政権」として多くの人たちが警戒していた。ブッシュのお父さんの時代から、テキサス石油資本を中核としたアメリカ軍事産業は戦争をすることが最大の栄養源であるだけに、いつ、どのような形で戦争を引き起こすのに注目があつまっていたのである。
ケネディ大統領も、ベトナム戦争を終結させたくない勢力によって暗殺されたと考えられている。アメリカはどうして「京都議定書」を批准しないのか?京都議定書は石油資本にとっては不利になるからである。石油資本によって擁立されているブッシュにとっては当然の政策といえる。
そのような好戦的なブッシュ政権にとって、またとないチャンスが訪れた、それは9・11の多発テロ事件である。このテロは、発生当時から「アメリカが、イスラエルと組んでやったものではないか、あれだけの高度な操縦技術はそう簡単に取得できるものじゃなく、このテロによって得をするのはアメリカとイスラエルだ」などとささやかれていたものである。
ブッシュ大統領はこのテロを絶好のチャンス到来とばかりに利用し反撃に転じた。その結果はご存知のとおりの戦果を収めた。自国の兵をほとんど失うことなく、相手を壊滅したのである。
そして、今度は「悪の枢軸」発言である。イラク、イラン、北朝鮮の3ヶ国を名指しで「悪の枢軸」と言い放ったのである。もちろん名指しされた国からは強い反発の声があがっている。北朝鮮からは「宣戦布告とも読み取れる発言だ」という声明が出た。
ブッシュ政権誕生時には、アフガン、パキスタン、イラク、中国、北朝鮮などが戦略的な対象であった。それが、9・11事件後は、中国、パキスタンが除かれているが,アメリカの本心は「イラク・イラン・中国・ロシア・北朝鮮」と言ったところであろう。今後もこの想定に基づいた世界戦略がとられるものと思って間違いなさそうである。