中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「あの長嶋さんに会った」 本当に?

 教え子の母親の急逝に、私の心も揺れて思うように
 ブログを書けない。
 その上、来週から2回にわたって白内障の手術を受ける
 ことになった。
 しばらく、お茶を濁すようなものを掲載するがお許しを。
 8年前にJAニュース紙で掲載した「ホンネコラム」が
 面白いので、しばらく転載しようと思う。
 このコラムは、中原武志としてではなく「中小路 綾磨呂」
 (なかのこうじ あやまろ)として書いている。
 
JANEWS紙 2004年7月号掲載
 なんでも ホンネ・コラム          
 
 「あの長嶋さんに会った」
 
あの長嶋さんに会った。ジャイアンツの長嶋さんです。
ホンネで言うと私は選手時代から今に至るまで長嶋さんが
好きではなかった。
私が大の虎キチのせいもありますが同じ巨人軍でも王さんは
好きだったし今も彼を応援しています。
 今日、所要で行った帰りの電車の中で偶然に長嶋さんと
隣り合わせに座ることになり、ひょんなことから会話が弾み
ました。野球に関していろいろと質問すると彼は楽しそうに
どんどん答えてくださった。
「打率のことなどを考えてバッターボックスに入っても打て
ないでしょうね」などと素人丸出しの私の質問にも丁寧に
答えてくださった。その話し振りには脳血栓でリハビリ中とは
とても思えない快活なものがあったので、駅に着いた後、その
まま挨拶をして別れてしまいました。
 ふと振り返ると、長嶋さんが不自由そうに階段を下りている
姿が目に映ったので急いで取って返し彼の身体を支えながら階段
を降り、そのまま町へと出て行きました。「長嶋さんはここにお
住まいだったのですか?ここは私が育った町なのです」というと
「そうですか懐かしいですね」と話がはずみ、雑談を重ねながら
雑貨店、骨董品店など昔懐かしい店を二人で廻りました。別れ際に
頼まれて名刺を差し出すと「ほう、ボランティアをやっておられる
のですか」と関心を示された。そして万年筆をお持ちですかという
ので、私の持っているボランティアグループの名前が入った万年筆
を差し出すと「使いやすいですね。でもこれでは私には持ちにくい、
ここを改良されたらいいのじゃないでしょうか」と提案してくだ
さった。「また会いましょう」と別れたが、とてもさわやかで、
気持ちのいい出会いだった。私はそれまで持っていた長嶋さんに
対する気持ちはなくなり、いっぺんに長嶋さんが大好きになった。
実は、以上の話はみんな夢である。あんまり鮮やかで実感のある
夢だったので起きて直ぐ東京在住のジャイアンツフアンの友人に
知らせたら「素晴らしい夢だけど、余程あなたの体調が悪いの
じゃないですか、こんな鮮明な夢を見るときは体調のよくない
ときですから」と私の身体を案じてくださった。まったくその通
りでこの1ヵ月半というもの体調不良で1ヶ月も抗生物質を飲み
続け、ステロイド錠を服用し、その副作用で胃が荒れて寝苦しい日々
が続き、のた打ち回るような苦しさの中での夢だった。しかし、
夢の中でも人をサポートしていた自分が嬉しいし、夢見でこれまで
嫌いだった長嶋氏が大好きになったことも嬉しい。その後の報道
では、長嶋さんは驚異的な回復振りのようであるし、アテネオリン
ピックへの壮行試合を観戦する予定があるそうです。私にとっての
長嶋さんはこれまでの有名人のそれではなく、身体のぬくもりを感
じあった親しい、懐かしい友人となってしまいました。今もその感触
が私の感覚に残っていて、とても夢だったとは思えないでいる。