中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

興味を持ち続けることの大切さ

 子供の頃はよく夢を見ました。 
 歳を重ねると夢を見る回数がすくなくなりました。
 70歳を超えると、めったに夢を見なくなり、みても覚えて
 いない場合が多いし、覚えていても断片的だったりする。
 私が夢らしい夢を見た最後はいつだったのか・・も覚えていないが、
 2004年4月にJA・NEWS新聞に書いたものがあるので、11年前・・
 すなわち私が69歳の時には記憶のある夢を見たということだと思う。
 以前にも載せたことがあるが、もう一度掲載しておこう。
 私は、とにかくなんにでも興味を持つ。私が食欲と興味を失ったら
 多分駄目になると思う。
 こんな夢を見たのも、あのころ長嶋さんのことを本当に心配していた
 からだった。

   2004年7月号  新連載 なんでも ホンネ・コラム     
 
 「あの長嶋さんに会った」
 
あの長嶋さんに会った。ジャイアンツの長嶋さんです。
ホンネで言うと私は選手時代から今に至るまで長嶋さんが
好きではなかった。
私が大の虎キチのせいもありますが同じ巨人軍でも王さんは
好きだったし今も彼を応援しています。
 今日、所要で行った帰りの電車の中で偶然に長嶋さんと隣り
 合わせに座ることになり、ひょんなことから会話が弾みました。
 野球に関していろいろと質問すると彼は楽しそうにどんどん
 答えてくださった。
 「打率のことなどを考えてバッターボックスに入っても打て
 ないでしょうね」などと素人丸出しの私の質問にも丁寧に答えて
 くださった。
 その話し振りには脳血栓でリハビリ中とはとても思えない快活な
 ものがあったので、駅に着いた後、そのまま挨拶をして別れてしまい
 ました。
 ふと振り返ると、長嶋さんが不自由そうに階段を下りている姿が
 目に映ったので急いで取って返し彼の身体を支えながら階段を降り、
 そのまま町へと出て行きました。
 「長嶋さんはここにお住まいだったのですか?ここは私が育った町
 なのです」というと「そうですか懐かしいですね」と話がはずみ、
 雑談を重ねながら雑貨店、骨董品店など昔懐かしい店を二人で廻り
 ました。
 別れ際に頼まれて名刺を差し出すと「ほう、ボランティアをやって
 おられるのですか」と関心を示された。そして万年筆をお持ちですか
 というので、私の持っているボランティアグループの名前が入った
 万年筆を差し出すと「使いやすいですね。でもこれでは私には持ち
 にくい、ここを改良されたらいいのじゃないでしょうか」と提案して
 くださった。「また会いましょう」と別れたが、とてもさわやかで、
 気持ちのいい出会いだった。私はそれまで持っていた長嶋さんに
 対する気持ちはなくなり、いっぺんに長嶋さんが大好きになった。
 実は、以上の話はみんな夢である。あんまり鮮やかで実感のある
夢だったので起きて直ぐ東京在住のジャイアンツフアンの友人に知
らせたら「素晴らしい夢だけど、余程あなたの体調が悪いのじゃない
ですか、こんな鮮明な夢を見るときは体調のよくないときですから」と
私の身体を案じてくださった。
まったくその通りでこの1ヵ月半というもの体調不良で1ヶ月も
抗生物質を飲み続け、ステロイド錠を服用し、その副作用で胃が荒れて
寝苦しい日々が続き、のた打ち回るような苦しさの中での夢だった。
しかし、夢の中でも人をサポートしていた自分が嬉しいし、夢見で
これまで嫌いだった長嶋氏が大好きになったことも嬉しい。
その後の報道では、長嶋さんは驚異的な回復振りのようであるし、
アテネオリンピックへの壮行試合を観戦する予定があるそうです。
私にとっての長嶋さんはこれまでの有名人のそれではなく、身体の
ぬくもりを感じあった親しい、懐かしい友人となってしまいました。
今もその感触が私の感覚に残っていて、とても夢だったとは思えない
でいる。