中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

いじめ問題、だれが悪い?(2)

 いじめと言うものは、学校だけではない。社会に出てからの方がいじめが多いの
ではないだろうか。昔の兵隊のいじめなどは理不尽極まるものだと思う。
しかし、社会に出にでる年齢になってからと、子供のころのいじめとは、
いじめを受ける側の心の負担に違いがあるとおもう。
 
 どうしていじめを受けなければならないのかという理由がよくわからないうちに、
いじめがどんどんエスカレートしていって、いじめを受ける側は追いつめられていく。
 いじめをする方は、自分のストレス解消などが発端になってやっているのだが、
相手がひるむほど、快感が増していくようで、止められないようだ。いじめる側が複数に
なってくると、指示する立場のものは、ますます快感が増して限度と言うものをわきまえなく
なるから恐ろしい。
 大阪の橋下市長は、いじめをするものを徹底的に排除するよう指示を出しているらしい。
いじめをするものたちを排除すれば、簡単にいじめがなくなるのかと言うと、そうではないと
断言できる。
 成人の犯罪と子供の犯罪を同一視出来ないように、いじめをする生徒を排除するだけでは
解決しないのだ。いじめが目に見えない形に悪質化していくか、別の形で表現されるに
ちがいない。
 短い文章の中では誤解される恐れがあるが、敢えて言うならば、いじめる方もいじめられる
方にも、どちらにも問題が存在する。
 そして、その問題は子供にではなく、大人の側に存在する。
言葉にして表せば「問題時はいないが、問題を持った子供はいる」という言い方になる。
排除するということは「問題児」としてとらえているということなので、私は反対だ。
 問題を持った子どもと言うのは、大人たちが作り上げたものなのだ。だから、問題を
起こした子供を排除するというのは基本的に間違っている。
 その理由を次回に書こう。