第2の人生(5)
第2の人生の最初に選んだのは、カナダのバンクーバーだった。
この時のことは、このブログの左端の書庫の中の「JAニュース紙連載」
の中の「旅の思い出」シリーズのバンクーバー編に書いてあるので、そちらを
読んでください。
バンクーバーの寒さが私の体に合わないと考えて、豪州・パースに第2の
人生を求めることとなった。
下見旅行を1ヵ月間丁寧に行った。毎日レンタカーで地図を頼りに、気の向
くままに走りながら、チェックポイントやら、家の価格やらを記入して回った。
出来れば、家を建てたいと考えていたので売り地を探していた。空き地には
売り地の看板がたくさん立てられていて、選り取り見取りの状態だった。
目が回るほど、毎日のドライブで探して、気に入った土地が2か所あった。
一つ目は、パースより北に約30キロにある「ジュンダラップ・ゴルフ場」の中に
ある土地だった。日本の場合と違って、ゴルフ場の中に住宅が立ち並んで
いる風景は、アメリカのPGAツアー中継などを見ていると良く見かける。
今はど忘れしたが、何番ホールだったかのグリーンの傍に大きな面積の
空き地があった。400坪ほどあったと思う。この地域に家を持つと、自動的に
ゴルフ場のメンバーになれるという特権がついていた。とても美しいグルフ場
で、真っ白なバンカーと鮮やかなグリーンが際立っていた。
もう一か所、オーシャンリーフというサバーブ(小さな行政区)に海の見える丘の
上に売り地を見つけた。ここに家を建てると、豪華客船に乗っているような感じに
なるだろうなという感じだった。
もちろん、このほかにもチェックした土地はいっぱいある。すべて地図の上に
不動産屋の電話番号を控えておいた。
1ヵ月間、借りていたのはパースのスワンリバー沿いにあるコンドミニアムだった。
動物園にも近いところでもあり、風景の美しい部屋だった。
コンドミニアムの部屋から、不動産屋へ電話で問い合わせることにした。
まずは、ゴフル場内にある物件から問い合わせる。土地の広さを聞き、ゴルフ場
会員権のことを確認し、価格を訊ねた。「アイティンファイブ」という。何度聞き直しても同じ返事だった。今の私なら、何の問題もなく聴き分けられる。しかし、当時は
何を言っているのか分からなかった。ここでアイティフアイブと書けば、すぐに
気がつくだろうが、先方のアクセントなどもあって、聞きとれなかった。
早い話が8万5千ドルだったのだ。この土地を買っていれば、そのごの値上がりで
大変な儲けになっていたと思う。私はどうも金もうけとは縁がないらしい。
オーシャンリーフの土地の不動産屋さんに電話をかけた。土地の広さ、価格も
確認できたので、翌日に彼と会うことになった。マレーシア・チャイニーズの青年
だった。もう一度現地の土地を見て、買うことにしようと思ったが、手持ちの金
は20万円ほどしかない。そこで、条件付き売買契約書の原案を、辞書片手に
書きあげて、翌日彼に示し、彼が本社に承認を得て、契約をした。
条件とは、帰国後、領事館に退職者ビザを申請するが、半年後の来年2月までに
ビザの発給がない場合には、自動的にこの契約は破棄され、手付金は、私の
銀行口座に送金する、というものだった。
帰国後、すぐにビザの申請を行った。当時は大阪に豪州の総領事館が置かれていたので便利だった。