中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

第2の人生(16)

 パース移住後の生活環境などを書き綴っている。
もっと、パースでの生活の奥深いところを書こうと思っているのだが、
何しろパースの日本人社会は約5000人と言うけれど、ワーキングホリデーの
人たちや留学生を除けば半分以下になってしまうし、実際に顔を会わせるのは
数百名になってしまう。いうならば「日本人村」なのだ。もちろん、日本での村と
違って広大な面積にパラパラと住んでいるので、日常的に顔を合わせて、「どこに
おでかけ?」「ちょっと、そこまで」的な会話はない。
 しかし、パースでの生活を書こうと思うとなかなか難しいことに気がつく。今も
パースにお住まいの方が多く、差しさわりがあるからだ。
 ということで、今は差しさわりのないことばかりを書いている。今しばらくは、パース
での生活環境に的を絞って書くこととしよう。
 私の場合は、リタイアビザでの移住なのだが、日本からビジネスビザで来ていた
人たちがかなりいた。その人たちのごく一部の人は、豪州政府との約束に基づいて
事業をおこしていたが、慣れない外国での起業というのはなかなか難しく、その内の
ごく一部の人たちだけが成功していたように思う。そして、多くのビジネスビザ取得者
は、最初から全く起業する意思すら見せず、持ち込んだ金をそのまま銀行に入れて
預金金利を楽しんでいた。私たちが移住した1992年での金利は10%だったが、
その3年前は15%だったというから驚く。ビジネスビザ取得のためには、約一億円の
持ち込みが要求されているから、それを事業につぎ込まずに預金金利で稼ごうという
のだから、はっきり言って「がめつい奴」である。しかし、このようながめつい奴が多かった
のには辟易したものだ。ビジネスビザというのは、豪州で起業して、豪州人を一人でも
多く採用させてほしいという豪州政府の願いがある。当時の豪州の失業率は約10~
15%の間だった。かなりの失業率だったのだ。そのために、日本からビジネスビザでの
起業家を求めていたのだが、彼らは制度にうまく乗って、自分だけが肥とるやり方で
生きていた。はっきり言ってずるいの一言だ。
 法律では、1年以上滞在する場合は、銀行に届け出て税金を支払わなければならない
ことになっている。私たちは、法律にとっとって銀行に届けた。あとから分かったことだが、
ほとんどのリタイアビザ、ビジネスビザで移住した日本人は、税金を支払っていないことを
知って愕然とした。
 そういう不正を許す豪州政府の間抜けぶりが、不正行為を増長させるのだが、それに
しても、堂々と不正行為をしていた日本人の方が圧倒的に多かったという現実を、ここで
はっきりさせておきたい。