中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

第2の人生(2)

私流生き方(147)第2の人生(2)
 私の第2の人生は、57歳から始まった。実は人生設計では60歳から
第2の人生を始める予定だった。
 しかし、15歳から働き始めた体は、かなりくたばっていたし、家内が
「これまで、人一倍苦労して生きてきたのだから、早めに引退して、少しは
自分のために生きたらは?」と、なんども言っていたし、たままた保護者会
会長から、安心して引き継ぎをお願いできる方を紹介してくださったという
経緯もあって、予定を早めての引退となった次第である。
 40過ぎに、当時神戸大丸の宣伝部長をしていたK氏と飲食をともにして
いた折に「ちゅんさんよ、(私のことをそう呼んでいた)退職後は外国で暮らす
べきだと、今回のニュージランド、オーストラリア出張でつくずく感じたよ。
引退したら一緒にオーストラリアあたりで暮らさないか。という話に乗って、
そうれゃ、今後はそれを目標にやって行こうかという話になっていた。
 アメリカへ何度も行っているうちに、豪州じゃなくてアメリカでは住めないものか
と考えるようになっていた。
 しかし、ビザの関係でアメリカでは住めないようだと分かり、カナダの
リタイアメントビザを取得してカナダに住もうと考えた。
 これらのいきさつは、何度も他の機会に書いたので省略するが、初めて
読む人のために、簡単に記しておこう。
 カナダのバンクーバーへ旅行していた時のこと、現地の新聞に「弁護士会
リタイアメントビザをなくそうという政府の方針に反対声明」という記事が掲載された。
 急いで帰国して、東京のカナダ大使館に問い合わせすると「もうなくなりました」
という。そんなはずはない、現地の新聞では、今後なくなるかもということだった、
と告げると「あなたの場合、特別に」という手はずになった。
 バンクーバーコンドミニアムを購入して、さて住んではみたが、どうも寒くて
ぜんそく持ちの私には過酷だった。僅か数か月でコンドミニアムを売りに出し、
次の移住地探しのために豪州へ行き、パースと出会った。
 パースには約1カ月間滞在して調査し、翌年の3月に豪州・パースに移住
したというわけだ。
 簡単に書いたが、カナダにせよ豪州にせよ移住手続きは簡単ではない。
手続きを専門家に依頼する人が多いが、私の場合はすべて自分でやった。
 外国に移住しようとするからには、それらの書類作りを自分でやるぐらいで
ないと、移住資格がないのではないかと、私は思っている。