中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(84)

 友人の話に乗らざるを得ない窮地に立っていたので、乗ってはみたが、
しょせん私の生き方とそぐわない。私にはそのような健康食品が消費者
の役に立つのかどうかの自信がなかったからである。
 この仕事に携わった期間は約半年だったが、貴重な体験もさせていた
だいた。雪印乳業冬虫夏草菌に興味を抱き、自社の製品に使えないか
と考え交渉を求めてきたからだ。雪印乳業には医薬部門もあり、培養施
設があるから冬虫夏草菌を培養しドリンクなどに使えないかと模索した
ようだった。そのために雪印乳業の数人の常務と何度も一緒に大分県
で足を運んだり交渉のテーブルにつく機会を得たことは私の人生の肥や
しになった。
 その後10年もしないうちに雪印乳業は大きな問題を起こし、著名な
ブランドを汚してしまったが、私が交流した当時の常務さんたち(一度
は専務ともお会いした)は、みんな素晴らしい方たちだった。超一流企
業の役員とはこれほどまでに洗練されているのかと、目を見張る思いで
接していた。雪印乳業との話が立ち消えになったことで、私もその仕事
から足を洗った。
 そのころ、神戸ポートアイランド博覧会の開催(1981年3月20
~9月15日)に出展したい企業があり、私にその仕事に関わってくれ
ないかと依頼された。健康食品会社を紹介してくれた友人の友人でもあり、その関係から健康食品を扱った折に関わりを持たせていただいていた方で、京・阪・神の大丸のDMを一手に引き受けている会社の社長からの誘い
だった。とにかく、その会社の子会社でもある「(株)アートハウス
大阪」の専務と言う肩書をいただき、ポート博に一時携わったが、なぜ
かその時の記憶がない。それよりもアートハウスの本来の仕事の方が記
憶に残っている。京阪神大丸の宣言広告に関わる仕事だったからだろう。
 ポートアイランド博覧会が終わって、社長は本社である(株)大宣に
来ないかと誘って下さった。この会社はその後も成長を続けている優良
企業である。当時ポートアイランド博に一緒に関わった社長の弟でもあ
る専務はその後独立して(株)アド・ダイセンを設立し(株)大宣以上
の発展を遂げている。
 古い話であり、社長も引退したので今なら書いても支障はないと思う
ので書いておこう。
ある夜、あるクラブに誘われた。1時間も遊んだ頃、社長の姿が見えな
いので、横にいる女性に「社長は?」と聞くと、お帰りになりましたと
言う。それじゃ私も帰ると立ち上がると「今晩は宜しく頼むと、社長に
きつく言われていますので、お帰りにうなったら私が困ります」と言う。
それでも振り切って私は帰った。
 翌日、社長が会いたいと言うので本社に行ってみると「これまで、女
をあてがったのに、袖にして帰ったのは君だけだよ」という。私も女性
は嫌いじゃないが、初めて会った女性と寝るなんて私にはできませんよ
と答えた。社長は、「ますます気に入った。実は君をわが社の常務に迎
えたいと考えていたんだが、これで心が決まった。こんなことを言うと
失礼だが、君は現在いろいろ困っているのだろう。私が乗っている車を
買い換えようと思っているので、セドリックを君にあげるから、来週か
らでも出社してもらえないか」という。
 あまりにも急な話であり、どう返事をしてよいのかも分からないので、
とりあえず後ほど返事をさせていただきますとその場を辞した。あの時
「大宣」に行っていれば、どんな人生になっていたのだろうか。
人の運命とは誠に不思議なものである。それから二日後には、(株)
中西興業から「専務として来ないか」と話しが飛びこんできたのだ
から