中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

吾輩は「たま駅長」である

 吾輩(わがはい)は、1994年に生まれた三毛猫である。
 因みに、三毛猫と言うのは日本にだけいるらしい。
 可愛い私は「たま」と名付けられて育てられた。どこにでもいるようjな
 名前だが、それが全国的に有名になって、ちょっと恥ずかしい。
 2007年1月に和歌山電鉄から駅長として任命され、2008年1月には
 スーパー駅長に昇格した。
 どうして私が駅長に選ばれたのか。
 南海電鉄が運営していた貴志川線の撤退を決め、存続を願う住民たち
 によって、あらたに和歌山電鉄を立ち上げたが経営困難は続くばかり。
 何とか乗客を増やせないかと人間どもが知恵を絞った挙句、私を「駅長」
 にしようということになった。
 全国にゆるきゃらはたくさんあるが、私のような立場のものはあまり
 ないようだ。
 私としては、メスとしてオスと戯れる時間もほしいし、のんびりと遊んで
 いたかったのだが、どういう訳か、それほど私が別嬪だったからなのか、
 全国から私に会いたいという人間どもが集まってきた。
 カメラを向けられ、そのシャッター音にいらいらしながらもポーズをとって
 あげたのだ。時々は腹が立って大きな声でニヤーオーを鳴いてみた
 だが、その声までも可愛いなどと言われてはどうしようもない。
 2011年には、常務執行役員に任命され、2013年1月には社長代理に
 任命された。社長代理だぞ。
 もし、社長に何かがあったら、吾輩が社長に変わって経営をするのだぞ!
 もし「にゃーお」と言うたらなんと判断されたのか。イエス?ノー? 
 まぁ・・人間どもにこき使われたけれど、貴志川線の復興に役立てたの
 ならいいとしようか。世界に広く吾輩の名前が知られていることにも
 驚いている。
 社会に何の貢献もしない人間もいる中で、吾輩の活躍は異色だという
 ことなのか、他に書くことがないからなのか、多くのマスコミの寵児となった
 わが人生?? いや・・猫生・・だった。
 今度、もし・・人間に生まれ変わったら、和歌山鉄道の社長になって、
 和歌山をもっともっと盛り上げようかと・・いま、あの世から考えている。