中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(75)

  ある日、SUN・TV(神戸)の人から電話があった。
「中原さんに、神戸の将来像についてご意見をお伺いしたいの
ですが」ということで、翌日近くのホテルのロビーで会った。
一人はプロデュ-サーであり、もう一人はディレクターだと、
頂いた名刺で分かった。それから約2時間に亘って、神戸の将来
に関する私のビジョンなどを話したものだ。
 もちろん、これには伏線があるようだ。何度か書いてきたよう
に私は「神戸フアッションソサエティ」(KFS)の会長をしていた
。神戸市が「フアッション都市宣言」をしたことで、それを側面
から応援する組織として生まれたのがKFSである。当時の副会長が
現在洋菓子のモロゾフ(株)〔一部上場会社〕の社長をしている
松宮氏であった。ワールド、オールスタイルなどの神戸の服飾会社
から洋菓子、神戸家具、シューズなどトータルフアッション関係者
百三十名からなる堂々たる組織であった。
 このKFSを影で支えてくださっていたのが神戸新聞の主幹であった
畑専一郎(ハタセン)さんである。神戸新聞は地方新聞とは言え、
兵庫県では朝日、毎日、読売新聞を上回る部数を今なお誇っている。
当時、神戸新聞の専務室で畑さんとしばしば、今後の神戸の在り方、
都市づくりの在り方などを話し合ったものである。ある時は都市計
画専門の大学教授を交えたり、外国の都市に詳しい人を招いてお話
しを聞いたこともある。その時、私達が語らっていた都市未来計画
は現在かなりの部分が現実のものとなっている。中突堤周辺、メリ
ケン波止場周辺、ハーバーランドなどは、当時考えたものと変わら
ない。
 当時の都市計画で実現できなかったのは、メリケン波止場からトー
アロードを通って北野の異人館のところまでサンフランシスコのよ
うな路面電車を通す事である。今一つは、本山界隈のフアッション
化だが、これは一応その方向で進んでいる事は確かだが物足りない。
   そのような、神戸の将来像について2時間以上も熱心に喋った
のである。テレビ局の二人は、凄く興味を持ってくださった。その
ような都市計画をもっていることを聞くのも初めてだと感心して下
さった。都市を作るためには、水など生活ラインの確保が基本であ
るが、それだけではいけない時代に入りかけていた。都市は機能だ
けではなく長い将来を見渡したビジョンによって作られなければな
らない。当時はこのような意見は未だ少数派であった。経済性ばか
りが優先している時でもあったので、私の話が「とても新鮮だ」と
言っていただいて、お別れをした。