中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(69)

 KFS結成の話の前に書いておかなければならないことがあった。
どうも古い話は忘れがちで、書いている内に思い出すようだ。
  KSFを作る約1年前だった。当時のファッションは(今も
そうだが)上下のどちらかと言うと上の方、言い換えるとアッパー
に力点が注がれていた。作る方も着る方も。
 あるファッション専門雑誌に私の記事「ファッションはもっと
ボトムに注目すべし」が
掲載された。例えば当時の百貨店のブラウスコーナーに行けば、
かなりの量とデザインが所狭しと並べられていたが、スカートは、
そごう、大丸でもハンガーに掛けられているのは僅かに30着~
40着程度というひどい有様だった。
 言うだけではなく、スカート革命を起こしてやろうと思ってスカー
トのデザインを考え、
大阪の問屋から生地を大量に仕入れ、縫製は以前に私が確立した家
庭内作業外注方式をここでも取り入れた。こうすると工場が要らない。
工業ミシンだけ貸しだして家庭内で縫製してもらうシステムだ。
 高級スカートだけに焦点を絞った。当時百貨店などで売られてい
たものは、色もデザインも地味だったので、私の作ったスカートは
ヒットした。今から37年も前のことだから書けるが、神戸では一
流のブティック「セリザワ」の場合、私が3千円で卸したスカート
が店頭には3万円で並べられていたので、その品質などが想像でき
るだろう。
 この頃、私のスカートをほぼ全面的に取り扱ってくれたのが(株)
中野手芸だった。ラジオ神戸は須磨にある。同じビル内にボーリン
グ場もあった。そのビルの2、3階がすばらしいフロアーになって
いた。オフイスと言う感じではなく、全体がすっぽりとファッショ
ンブティックとしてのアイディアに満ちた空間だった。(株)中野
手芸は、私が作る製品を片っ端から仕入れてくれた。社長も華やか
な感じの方であり、時流に乗り好調のようであった。