中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の想い出あれこれ(1) ミラノ編

-JAコラム JA20113月号
「旅の思い出あれこれ」(1) 
連載 第15
六甲庵独り言
 
旅の思い出あれこれ(1)
 
「旅は道連れ世は情け」とか、「旅の恥はかき捨て」「旅は憂いもの辛
(つら)いもの」など旅に関する言葉は多い。「旅」の語源はいろいろ
あって定かではないが、「他日(たび)」「たどる日」「発日(たつび)」な
どが参考に記されている。基本的には、住む場所を離れて異郷をさま
ようことらしいが、遠い昔は住む場所から少し離れるだけでも「旅」と
言ったようだ。そういえば、私が少年期を過ごした淡路島の場合、人生
で一度も島を離れたことがない人が多かったようだし、島の中の都市
といわれる洲本(すもと)市に足を運んだことがない人さえ多かった。
 今では飛行機や新幹線で短時間のうちに移動できるようになり、旅の
概念も大きく変わってきている。昨年のNHK大河ドラマでは、坂本竜馬
大人気となったが、ドラマだけでなく、本物の竜馬も土佐から江戸、京都、
鹿児島、長崎などに移動している。彼の場合は使命感で動いていたので
あって旅とはいえないが、船を使ったほかは全部自分の足で歩いたのだ
ろうから、現在の感覚では信じられないことである。間寛平さんが地球を
ぐるっと一周走って帰国したというニュースには驚きだが、昔の人なら驚
かないかもしれない。
 
 ミラノ(イタリア)の思い出
 初めてミラノへ行ったのは、36年ほど前だった。私の海外旅行は数えら
れないほど多いが、基本的には単独か妻との二人旅で、ツアーで行った
のはこれまでに4度しかない。ミラノへ行ったのもそのうちの1回である。
ローマ、フィレンツェから列車でミラノに入った。フィレンツェには思い出が
多く、項を改めて書きたいと思っている。
 ファッションというとフランスを連想する人が多い。フランスは、オートク
チュールでは有名だが、製品化されたものではテキスタイルデザイン、染色、
ファッションデザイン、縫製などほとんどがイタリアで作られている。イタリア
こそファッションの本場なのである。
当時(今も?)ミラノでは世界中のファッションバイヤーが集まる世界で
最も有名なファッション展示会が開かれていた。巨大な会場は、ファッ
ション見本市であり、世界中の制作者が展示し、バイヤーと交渉する。
私は当時、神戸ファッションソサエティーという大きなグループの会長を
していたので参加したのだが、会場には日本人も多かった。そういうとこ
ろで日本人は何をしていたかというと、メジャーを持ち服のサイズから
ボタンのサイズまで計測し、デザインをスケッチしていたものだ。サル
まね根性丸出しの、とても見苦しい行動をしていたのが見ていて恥ずか
しかった。展示を見ようとしても、会社によっては「ジャパニーズ、NO-!」
と厳しい声で追い出されたこともある。
 日本のファッションのその後の隆盛は、こういうことを経て出来上がった
ものだということを若い人たちに覚えておいてもらいたいと思う。
 今の若者は、何でもありのファッションで基本を知らない人が多過ぎる。
大手のファッション学校の発表会に行って、その凋落(ちょうらく)ぶりに
驚いたが、教える方も知らないのかもしれない。ポケットの蓋は何のため
にあるのか、なぜタキシードの上着にはポケットがないのかを知らない人が
増えた。服というものが成り立っていく中でいろんな発想が生まれた。
そういう服飾の歴史を知っておくと楽しい。もっと学んでほしいと思う。
 さて、滞在日の3日間のほとんどをファッション展示会に充てたが、ミラノ
観光に欠かせないのが「ドゥオモ寺院」である。寺院そのものはヨーロッパ
の各地にあるものと大差はない。見飽きたという感じだったが、そのあとで
強烈な経験をすることとなった。
 ドゥオモ(ミラノ大聖堂広場は大きい。その中ほどでジプシーの親子4人
に大きな声で追いかけられた。ツアーガイドから注意を受けていたので、
なりふりかまわずに逃げた。ジプシー親子は段ボールを持っていて、彼ら
に囲まれると身ぐるみ盗(と)られてしまうらしい。遠くから観察していると、
次のターゲットを探しては追いかけていた。
 ドーモ寺院では良い印象は受けなかったが、ミラノはイタリアの中でも
裕福な都市であり、清潔感のある都市である。ミラノのオペラの殿堂・スカ
ラ座といえば世界一と言っても過言ではないほど文化度の高いところだ
けに、どうしてジプシーを野放しにしていたのか分からない。
 ミラノで最も印象に残っているのは「ミラノ中央駅」である。映画「ひまわ
り」にも出てくるこの駅舎は全て大理石でできていて荘厳、華麗という言
葉が当てはまるだろう。世界の多くの駅舎を見たが、今でも懐かしく思い
出すのが「ミラノ中央駅」だ。
 そのミラノ駅から、列車に乗ってパリへと向かった。コンパートメントの
ゆっくりした座席で2リットル入りのワインをみんなで飲みながら語り合い、
沿線の風景を楽しんだあの日が懐かしい。