中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(41)

いわく因縁つきの土地に養鶏場を建てると決めてからは、経理業の
方はやめることにした。
どんなものを建てようか・・・資金は???
考えても、心配しても仕方がないので、とにかく図面を引くことにした。
図面を書いていると慾が出てくる。自分たちが住む家も建ててしまおう
などと、大胆な発想が生まれる。
土地は300坪以上ある更地などで整地の心配はない。平らな土地だった。
6歳から15歳まで育った家の側であり、学校の行き帰りにも必ず通る
場所であったから、馴染みのある場所であった。
以前の屋敷にも何度も行ったことがあるので、その土地に立つと、
屋敷の形などが思い出され懐かしかった。
鶏舎は成鶏(産卵鶏)1000羽、中雛200羽用のものを一棟で建て
ようと考えた。この前に建てたものとは規模が違った。
ケージは、すでに普及していた金属製のものを買ってはめ込んでいくから、
その点は楽だった。
わが家も建ててしまおう・・と考えたが、家を建てるなど大胆過ぎて
直ぐには知恵が浮かばない。図面を引いているうちに、とりあえず
小さな家を・・6畳二間でもいいか・・などと思いながら、いつの間にか
30坪を超える家の設計図になっていた。
 
洲本市という20キロばかり離れたところから、解体した古家の材木
を安く買った。古い家だけに、煤で真っ黒だったが、直ぐ上にある池まで
持って行ってタワシでごしごしと洗って使えるようにした。
古い柱などは以前の穴がたくさん開いている。それらの穴を避けながら
使おうとすれば、様々な制約が要った。
 
私が唯一信頼する伯父がいた。父の妹のご主人だ。この人とはウマが
合い語り合うことが多かった。この叔父に自分で家を建てようとおもうと
話したところ「そりゃ無謀だよ。せめて棟上げのところまでは大工さんに
やってもらう方がよい」と助言があった。
知り合いの大工さんもいないので、あちこちに尋ね歩いて、ようやく
引き受けて下さる大工さんを見つけ、仕事に取り掛かる日を決めた。
 
ようやく、わが家が出来る、鶏舎はそのあとで建てよう。
工事に取り掛かるその日を待ちわびた。
当日の朝になって、現場に行って大工さんを待ったが来ない。
どうしたのだろう、約束の日を間違えたのかと思いながら、待つこと
暫し。手紙が置いてあることに気がついたのは1時間も経ってからだった。
手紙には「この場所と関わりたくない。多分他の大工さんも引き受けない
だろう」と書かれていた。
心配した通りだった。近所のおやじさんが「たけっさんよ、ここに家を
建てるつもりなのか?ここはやめた方がよい。祟りがあるぞ」と言っていた
からだ。
祟りなど怖れていられない。何がなんでも建てなければ養鶏が出来なくなる。
そうなれば多額の借金だけが残ってしまう。
私はすぐに、大工さんの家に飛んで行った。大工さんは留守だった。
奥さんがおられたので、大工さんのお気持ちはよくわかりました。ご無理は
申しません。よろしくお伝えください。と言ってから・・済みませんが「水盛器」
と言うのをちょっと拝見されてもらえないでしょうか・・と
いうと、水盛器などそこに置いてあるとと」指さす。しばらくそれを見つめていた。
ここから自力でのわが家建築がはじまる。