中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(56)

「一夜にして台風にやられる」
 
  死に物狂いで昼も夜も頑張って、なんとかこれでやって行ける
かと言う目途がついてきた。黒字と言うほどではないが給料の支払
いと家賃も払えるようになってきて養鶏からの脱却体制が整う目安
がついてきてホッとしていたある日、淡路島にはめったに来ない台風
が襲ってきた。
 その夜は、最近にはない強い風が吹き荒れたので、私が建てたわが
家の場合も、母屋から突き出したような形で作った「おだれ」部分が
風で飛ばされそうになったのでロープを結びしばらく引っ張って飛ば
されるのを食い止めた。小学校就学前の娘がその時のことを今でもよく
覚えているらしい。よほど怖かったのだろう。しかし我が家も鶏舎も
無事だった。
 翌朝、いつものように工場へ行くと、風景が違う。なぜ風景が違う
のかに気がつくまでに時間がかからなかった。いつもは見えない工場
の裏山が見えるのである。近づくと工場がない。一夜にして工場が消
えたのだ。分かりやすく言うと屋根の上から押さえつけられたように
潰されていた。言葉もでないほど驚いたが、手をこまねいているわけ
にはいかない。とにかく高価なミシンを助け出そうと、屋根をはがし
ミシンを外に運び出し、泥まみれになっていたミシンをバケツに入れ
た油できれいにして錆びないように手当てした。
 シューズの原材料も泥まみれになって使い物にならない。またしても
弁償ものだ。ここまで工場を築くのにかなりの無理があったので、
これで終わりかなと思ったが、こんなことではへこたれているわけには
いかない。何しろ家族がいるのだから。せっかく来てくれた従業員たちや
その家族のためにも、なんとか復興させたかった。
 工場の持ち主に、この場所で工場を建てることを認めてほしいとお願い
したが、断られた。彼も借り地に製材所を建てていたのだった。
 とりあえず急遽、わが家を作業場にしようとミシンを運び込み、
原材料を神戸に取りに行って再スタートした。これまで工場があった
隣村からの従業員は、毎朝私が送り迎えすることになった。
 わが家は広くない。そこにミシンや原材料や半製品が山となって寝る
場所もない有様だった。