中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(9)

 その日の夜遅く、京都から母が駆けつけてきた。
母を待つ間に、祖父母から父と離婚後の母について話を聞いていた。
私の父は、私の知る限り、そして父の友人などから聞いた限りでは、心優しい
男気のある親分肌の男だったらしい。
ところが、身内から聞く話は極めて悪い。
なにが悪いか。私も知っている。酒癖が極めて悪いのだ。酒に酔ってくると
怒声に変わる、場合によっては暴れる。手がつけられない。
祖母が16歳で結婚して17歳の時に生まれたのが父だった。その後1年置きに
兄弟姉妹が生まれて11人となった。
 17歳の母親では子育てがうまくできなかっただろうし、相次いで生まれた子育てに
忙しかっただろうし、長男と言うこともあって甘く育てたに違いない。
結果として、超わがままな性格の持ち主になったようだ。
外での評判がよいのは、気ままが抑えられていたからだろうし、身内に評判が悪いのは
身内に対する甘えがあったからだと思われる。
学校で評判がよいのに家庭内暴力をする生徒と同じ構造だ。
 そのような気まま、わがままが結婚後の母に対してもあったようで、母はそれに耐えきれ
なかったのだろうとおもう。
ある日、淡路島の祖母に「大阪へ芝居を見に来ないか」と手紙を送った。祖母は喜んで
淡路島から大阪へと駆けつけた。今と違って家を出てから4時間以上はかかっただろう
母は、映画館に祖母と私を連れて行った。便所に行ってきますと、祖母に私を預けて
そのまま姿を消してしまった・・と言うわけだ。私が2歳半の時だった。
 詳しい話を聞いたのは、この夜が最初だった。父の身内たちは母のことをけしからん、
とんでもない母とぼろくそだったし、私から母のことなど持ち出しても耳も貸してもらえなかったから、
母のことを聞いてはいけないこととずっと思っていたものだ。
 深夜、母が神戸の祖父母の家に来た。玄関を入ってくる・・・長い間夢見た母との対面の
瞬間が間もなくだった。胸に飛び込んで泣いてしまいそうな予感がしていた。
 母が入ってきた。夢にみた母のイメージとは違う。私が長い間、勝手に作り上げてきた
母のイメージがあった。しかし違うと思ったが、次の瞬間に母も戸惑ったようだった。
抱き合うこともなく、涙することもなく「ご対面」は終わった。