その日の夜遅く、京都から母が駆けつけてきた。
母を待つ間に、祖父母から父と離婚後の母について話を聞いていた。
私の父は、私の知る限り、そして父の友人などから聞いた限りでは、心優しい
男気のある親分肌の男だったらしい。
ところが、身内から聞く話は極めて悪い。
なにが悪いか。私も知っている。酒癖が極めて悪いのだ。酒に酔ってくると
怒声に変わる、場合によっては暴れる。手がつけられない。
祖母が16歳で結婚して17歳の時に生まれたのが父だった。その後1年置きに
兄弟姉妹が生まれて11人となった。
17歳の母親では子育てがうまくできなかっただろうし、相次いで生まれた子育てに
忙しかっただろうし、長男と言うこともあって甘く育てたに違いない。
結果として、超わがままな性格の持ち主になったようだ。
外での評判がよいのは、気ままが抑えられていたからだろうし、身内に評判が悪いのは
身内に対する甘えがあったからだと思われる。
学校で評判がよいのに家庭内暴力をする生徒と同じ構造だ。
そのような気まま、わがままが結婚後の母に対してもあったようで、母はそれに耐えきれ
なかったのだろうとおもう。
ある日、淡路島の祖母に「大阪へ芝居を見に来ないか」と手紙を送った。祖母は喜んで
淡路島から大阪へと駆けつけた。今と違って家を出てから4時間以上はかかっただろう
母は、映画館に祖母と私を連れて行った。便所に行ってきますと、祖母に私を預けて
そのまま姿を消してしまった・・と言うわけだ。私が2歳半の時だった。
詳しい話を聞いたのは、この夜が最初だった。父の身内たちは母のことをけしからん、
とんでもない母とぼろくそだったし、私から母のことなど持ち出しても耳も貸してもらえなかったから、
母のことを聞いてはいけないこととずっと思っていたものだ。
深夜、母が神戸の祖父母の家に来た。玄関を入ってくる・・・長い間夢見た母との対面の
瞬間が間もなくだった。胸に飛び込んで泣いてしまいそうな予感がしていた。
母が入ってきた。夢にみた母のイメージとは違う。私が長い間、勝手に作り上げてきた
母のイメージがあった。しかし違うと思ったが、次の瞬間に母も戸惑ったようだった。
抱き合うこともなく、涙することもなく「ご対面」は終わった。