先日来、縦割り行政の硬直化が市民の新しい取り組みなどを阻害していると
書いてきた。
日本のどこの大都市でも縦割り行政が行われており、一度でも、役所と関係を持った方なら
その硬直化に振り回された経験があるはずだ。
しかし、だれにでもわかるように、ここでは私たちの身体について書いてみたい。
今とても評判で人気のトップを走る「DR,和の町医者日記」と言うブログがある。
彼によると、先日大阪のある大きな病院から、糖尿病の患者が紹介されてきたそうだ。
この患者は長らく等に用を患い、ひどくなり毎日2本ものインスリンを打たなければ
ならなくなったので、病院側は「自分で一日2本打ちなさい」とインスリンを渡していたそうだ。
長尾ドクターが調べたところ、なんとこの患者はすでに認知症になっており、渡された
インスリンを打っていたかどうかさえ分からないと言う。そして驚くべきことに「腎臓がん」
になっていたと言うのである。
病院の医者は「糖尿病」だけをみていたのであり、身体のほかのところは診ていなかった
と言うことになる。
こんなことは、大病院ではごく普通のこととして覚えておいていただきたい。
例えば、肩、ひじ、膝などはそれぞれ別の専門家が診ることになっている。
肩も肘も膝もも同じ関節ではないかと思うが、専門が分化されているのが現実だ。
医者との懇談の中に「今に、私は右足専門です」などという医者が粟られるかも知れないと
笑い話になるほど専門家、分化が進んでいる。
もう、体全体を診ることができる医者がいなくなりつつあると言うことである。
私にもいくつもの医者による「間違い」判断があった。たまたま私にはそれらの知識が
あったので大したことにならなかったのだが、専門家していると言うことは、専門的だと
いうまえに、頭が硬直化していて患者が見えていないと言うことなのだ。
昨日、血液検査の数値を診て医者がこう言った『この数字なら大丈夫です』
先生、この数字は大丈夫な数字ではありませんよ」というと、「私は、この数字なら
大丈夫だと、患者のみなさんにお伝えしています」と仰る。
とんでもないこと・・・・それなのにコレステロール値が高くなったからと言って薬を
処方してくれる。
これは、全く対処が間違っているのだ。この程度の医者だったのかと情けなくなったが
そのドクターの名前は明せない。
もし「PSAがこの数値なら大丈夫」と言われた、私と同じケースの患者が、安心してそのまま
放置していたら、近いうちに100%骨に転移して間もなく死を迎えることになるほどのことなのに
それさえ知らない。専門外だと言えばそれまでだが、それなら「大丈夫」という表現はしないで
いただきたいものだ。
行政の縦割りの話しに戻ろう。隣同士の机に居ながら隣は何をしているのか知らないし、
連携がない。連携をうまくすれば、人材も少なくて済むし、機能的に繋がるため
処理も早くなり、全体像をつかみやすい。
壁もない、衝立もない近場にいる職員同士の仕事内容を、それぞれが無関心に
しているのが現実だ。
これは、まず税金の無駄、市民にとっては、横のつながりが見えないために無駄をさせられる。
専門家と言うと聞こえはよいが、3年もすれば人事異動が行われる行政では本当の意味での
専門家は育たない。
欧米の病院では「カンファレンス」という機関があり、一人の病人の医療をどのように行うかについて
各部署の人材を集めて討議した上で治療に向かう。
日本の医療も専門に分化しているが、それだけのことで総合的なカンファレンスは行われていない。
行政も、頻繁に各部署ごとのカンファレンスを行い、各部署の統合や分割、配置換えなど
積極的に推し進めていただきたいものである。
少なくとも、民間会社なら、こんな無駄使いをしていては会社が成り立たないだろうと思う。
市民の税金を使っていると言う意識をもっと強く持って、何よりも市民のために、何をどうすれば
良いのか考えてほしい。
最期に市民のみなさんに一言。
何んでもかんでも、行政に甘えないこと。自分でできることは自分であるべきである。
救急車でも簡便に使い過ぎ。あれは急を要する重病者にこそ必要なものである。
高齢者の見守りは、地域が考え、それを」行政が補佐するのがふさわしい。
行政に高齢者一人一人の見守りを頼むのはいかがなものか。
自立心のない人が多い日本というう国は、マッカーサーに言われたように「小学生」なのか。
経済成長を遂げ、近代国家になった今、もう少し大人の人が増えても良いのではないだろうか。
最期に付け加えるならば、縦割り行政とは横への機能が繋がっていないことで、充分な機能が
発揮できていない職場であるとも言える。身体に例えるなら、それぞれの細胞の機能が働いて
ないために病気になっているような状態であり、ほっとけば、血の通っていない死に体になってしまう。。