ボランティアあてにしてまた市が企画
毎日新聞・中畑流万能川柳(大分・春野小川さん)
この川柳を見て思い出したことがある。
私の親友で、長い間、阪神淡路大震災関連のボランティアをして
いた。数年前に亡くなったが葬儀に数百人が駆け付けたことでも
彼の業績がわかる。
しかし、彼は「神戸市が企画の段階に相談もしてくれないで
勝手に予算を付けてしまうんや。まあ、市にこき使われているような
もんやな」とぼやいていた。
日本ではよくあるパターンかもしれない。いわゆる「行政指導型」と
いうやつで、行政は、それが当然と考えているふしがある。
欧米では、こんなやり方は一切通用しない。この一点をみても
日本の民主主義とは何なのかをもう一度みんなで考えてみたい
ものだ。
住民の側から盛り上がってきた力を行政が補助するのではなく、
行政がボランティアを最初から当てにして、予算化を進めてしまう。
市のアピールが主な目的で、市民が求めているボランティアへの
支援にはなっていない。
もう一度、考え直さなければ、本当の意味でのボランティアは育たない。
豪州で、がん患者を病院に送り迎えするボランティアがある。それを
神戸で実現しようとしたが、ボランティアが集まらず断念したが、なぜ
ボランティアが集まらないかと言うと、行政の支援が偏っているから
だと気が付いた。亡くなった親友も「本当は、そういうところに市が支援
すべきなのに、何かが間違っている。今年も1・17にはたくさんの予算が
ついているんだよね。震災からこれだけ年月が経っているのに、この金を
もっと他に使えばいいのに」と漏らしていた。
彼は、亡くなる3日前に私を呼んで1時間ばかり話したが、「後継者は
指名しない。もうこの組織はなくなってもいいと思っているから」と言った。
彼は、ボランティアのあるべき姿をよく理解していたと思う。