中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

想い出(2)小学4年生のころ、学校は何をしていたのか。

小学4年生ごろの学校の想い出を書いておきたい。
戦争中(大東亜戦争が正式名称で、第2次世界大戦ともいう)
だったので、何事にも厳しい時代だった。
学校では、軍事訓練の一環として竹槍を持って藁人形を
えい!やー!と突く訓練があった。
よく考えればとてもバカらしいもので、誰がどんな経緯で
考え出したものなのか知りたいものだ。
山に薪を取りに行ったこともある。学年全員が山に行き
薪を作って持ち帰り、校舎の軒下に積んであった。
その薪がどのように使われたのかは覚えていない。
校庭に防空壕を堀り避難訓練を受けたこともある。
学年全員が、布製のバケツで海から塩水を汲んできて、
竹登り用の櫓に垂らした長い「むしろ」にその塩水をぶっかける
と言うこともした。塩を採取するためだったが、塩が採れた
記憶はない。
海岸に塩田を作ったことがあるが、波を受けてだめになり
塩が採れるまでには至らなかった。
よく考えると、教員の思いつき作業に生徒が振り回されて
いたように思う。
教師だって、どこからかの指示によって生徒動員しなければ
ならず、次から次へとアホらしい思いつきを考え出したのだろう。
授業については、ほとんど何も覚えていない。
国語の時間に順に教科書を読まされる時、近所の女子が
「弁慶がなぎなたを持って・・・」というところを「弁慶がナー、
ぎなたを持って」と読み、先生が「もう一度」というと彼女が繰り返し
「弁慶がなー・・・」と読んだので全員が大笑いしたことを覚えて
いる。方言で、言葉の最後に「なー」を入れる習慣があったからである。そんなバカらしいことしか、授業風景は思い出せない。
あとは、教育勅語をしっかり暗記させられたことで、今でも覚えて
いるから、子供の時の暗記力はすごいと思う。
あの頃の男子は、誰もが「お国のために兵隊さんになります」と
言うのが、良い子だったのである。