中原武志のブログ

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随筆自伝(136)私を守ってくれたのはだれなのか

     《豪州内のドライブ旅行》

私たちより3年早くパースに移住した田中さん夫妻がいた。慶応大学で長らく事務をやってきた人だった。 どこか一緒にドライブ旅行しませんかと誘われ、パースから南西に向かって走り、アルバニーから東に500キロを走ってエスペランスまで行く計画だった。

 詳しく書くと、パース→マンジュラ→バンバリー→マーガレットリバー→オーガストペンパートン→デンマーク→アルバニー→エスペラント→アルバニー→パースという順になる。

 予定は6泊7日にした。やや厳しい日程だが、真夏ゆえわが家の花のことが気にかかり、これ以上にはできなかった。

 出発して1時間でマンジュラについた。急開発が進んでおり以前から気にしていた地域なのだが、ゆっくり見る時間がないので、大まかに街を一巡して次に向かう。

 西豪州は、パース以外では南西地方にしか見るべき街はないと言われ、バンバリーは南西地方の旅行の拠点でもあった。

 バンバリーを過ぎた海水浴場(日本の海水浴場とイメージが違うが、ほかの表現が見当たらない)でインド洋を見ながら昼食を取る。パースから224キロのバッセルトンに着き、海岸の公園で小休憩する。目の前に長い桟橋(Jetty)が見える。10年以上前に台風で崩壊したものを地元の人々の運動で再建されたもので、全長2キロもあるという。釣り場としてはこれ以上ない絶好の場所に違いない。バッセルトンにいた時間はわずかだったが、ここを最初の宿にしてもよかったね、と話し合ったほどに印象に残る街であった。

ヤリナップ鍾乳洞(現在はニルジー洞窟と呼ばれているらしい)は圧倒的に美しかったで。ヤリナップ鍾乳洞は1899年に、エドワード・ドーソンが道に迷った馬を捜していて発見したもので、1900年に一般公開されている。当時はローソクで照明をしていたが1904年に電灯設備が導入され、観光の名所の一つになった。広さは深さ約400メートル、奥行き500メートルで決して大きな鍾乳洞ではない。

しかし、私がこれまで見たどの鍾乳洞より印象深かったし、心に深く刻まれた鍾乳洞となった。マーガレットリバーのマンモスケーブやジュエルケーブは、ガイド付きのため入場する時間が、約2時間ごとに決められているのだが、ここはガイドがいないので自由な時間に見ることができる。

出入り口が小さく急な下りの階段になっていて、私たちが下りようとするとオージーたちの集団が上がってきた。いずれもフーフーと荒い息づかいをしながら「ツーハードよ、きついわよ」と我々に言う。こりゃ、かなりきつくなりそうだぞと、思わず顔を見合わせた。

急な階段を下りていくと目の前に美しい鍾乳洞が広がっていた。鍾乳洞の中は思いのほか寒くない。鍾乳洞に入る場合はジャンパーは必需品というこれまでの経験でジャンパーを持って入った私は、鍾乳洞の中にある事務所に預けることにした。この鍾乳洞の中は年中16.・7度の温度で安定しているらしい。

照明の使い方が上手でいろいろな形成物を照らし出し、暗黒の鍾乳洞の中でのコントラストで照らされた形成物を生き生きと見せている。鍾乳石、鍾乳石筍(せきじゅん)、鍾乳管、流れ石、石幕、結晶、ヘリクタイト、石柱など他の鍾乳洞にあるものすべてをここで見ることができる。それらが暗闇の中でスポットライトに照らし出されて何か幽玄の世界に入ったような感じだ。

この鍾乳洞の美しさは、何と言ってもその色合いなのではないだろうか。半透明で乳白色。それらは色合いとその滑らかな感触で女性的な美しさがあり、その雄大さは男性的な強さを感じさせる。鍾乳洞の一番深いところに差し掛かった時、一瞬私の胸の奥を駆け抜ける衝動が起こった。照明に浮かび上がったそれらはまるで仏像の世界だった。観音像が20体ほど置かれているような錯覚をした。それらは神秘的で私の心を捉えた。じっと見ているうちに何かに引き込まれるような不思議な体験をした。仏教を信じているわけではないのにどうしてそんなふうに思ったのだろうか。

この鍾乳洞では聖書の登場人物を見ることができると案内書に書かれてあったが、誰もが同じような思いをするものかもしれない。

鍾乳洞がどうしてできるのかの説明は省くとして、1年間に約1・5ミリずつ成長して出来上がるらしい。この鍾乳洞の場合、約100万年以上の歳月を経ているとされている。このような途方もない歳月が私たちにこれらを神秘的に見せるのかもしれない。そのせいなのだろうか、私たちは疲れも見せず最後の階段を上がることができた。