《編入生の中本君のこと》
衆議院議員の秘書から、生徒編入の問い合わせがあった。彼は中学校では番長として知られた存在であったらしい。 岡山県にある全寮制高校に学んでいたが、心機一転やり直したいと、本人が希望しているということだった。 岡山では、二年生に進級済みだった。受け入れに際して、テストを行ったところ、成績が悪すぎるので彼と面接した。
立派な体格と、精悍な面構えの青年だった。
『中本君。これまでの事情は大まかだが聞いている。ところで、編入の件だが、テストの結果をみると、成績が悪すぎるね。どうだね、もう一度一年生からやりしてみる気はないかな』
『僕は、一年生からやり直してもいいと思っています。よろしくお願いいたします』
私に向かって、しっかりした口調で答えた。
『でもね、一年生からだと、四年間もかかるのだよ、それもいいのかな』
『四年制だと聞いております。四年でも五年でもいいのです。 一からやり直したいのです』
彼の決意は固そうだった。 態度、言葉使いも立派だった。一期生たちの中でもやっていけそうだし、二期生の大きな集団の中に入れるよりも一期生の中に加えるほうが彼のためになるだろうと私は考えた。
『よし、君の決意はよくわかった。一期生たちは、この学校の理念に沿って、少しずつだが変化し始めている。 でも、まだまだ未熟なのだ。 君が加入することで、君にちょっかいを出す生徒が必ず現れると思う。 その時に君がそういうことに乗らずに対応できると思うのだが、どうかね』
『先生にご心配はおかけません』
『じゃあ君を二年生として編入しよう。わたしの期待に沿ってやってくれるね』
『気を付けます。努力してみます』
彼は、翌日から授業に参加した。 机を教卓に一番近いところに置き、卒業するまで、その位置を守り続けた。
もちろん、彼が編入してきてクラスがしっくりいくはずはない。 教師の中にも彼らの一致団結を乱しかねない編入生徒に危惧を持つ者もいた。 だが、わたしは彼の心意気にほれ込んでいたのだった。
入れ替わり立ち代わり、彼にちょっかいを出して仕掛けをする者がいたが、彼はそういうちょっかいに乗らずに、時間と共に全員の信頼を得るようになっていった
一年間で頭角を現していた、黒木君や山川君たちとも、しだいに相手を認め合う仲となっていった。ついに、卒業時まで中本君を巡るトラブルは一度も起こらなかったのだ。
《ヨーロッパ修学旅行の想い出》
突然にヨーロッパ旅行のことを書いてみたくなった。
一期生たちが一年生のころに、修学旅行はどこへ行くんのんやと言うので、君たち次第だが、ヨーロッパへ行こうかと、言ってみた。
『ウソやろ』
『ウソと違うよ。君たちが自分で稼いだお金で行けるのだったら、連れて行ってやる。アルバイトをしてお金を貯めておけよ。親からもらったお金では連れて行かないからね』
『きびしいなー。まあ先が長いから頑張ってみるわ』
彼らは、修学旅行はヨーロッパと決めてしまったようだった。 三年生の終わりの一月末から二月初めにかけて行くことにした。 ほとんど全員がアルバイトをして金を貯めていた。中には、ヨーロッパ旅行よりも乗用車を買うことに価値を見出して旅行に参加しない生徒もいた。
川渕君は、いつも車の本を読んでいたので、一年生の文化祭の際に、保護者たちがいる前で、車についての話をするチャンスを与えたところ、彼は数枚のチャートを準備したうえで、黒板も利用しながら、見事な「講義」をしたのだった。 聞き手を引き付ける一時間もの立派な講演だった。
彼は翌年の二年生の文化祭では、百円の入場料を取って、もっともっとすごい講演をしたのだった。
ヨーロッパ旅行の積み立て貯金の使い道については、各自の自由としたので、結果的には八名の参加となった。
一般募集の「ヨーロッパツアー」に参加しての旅行であり、全参加二十五名の中に生徒八名と私と松田先生が加わってのツアーだった。
大阪空港→成田空港→アンカレッジ空港→アムステルダム空港(一泊)→ローマ(二泊)→ジュネーブ(二泊)→パリ(二泊)→アムステルダム→モスクワ→成田→大阪という全日程十日間のスケジュールだった。
この旅で、彼らは一生忘れることのない体験をしただろうと思う。 とても貴重な十日間の旅だった。
一月末のアムステルダムは、朝七時を過ぎているのに暗かった。空港からバスに乗って市内に移動する道路際にあった小学校には、明かりが灯っていた。ガイドさんの話ではすでに授業が始まっている時間だという。 こんなくらい中を登校する生徒も大変だなと、彼らがささやきあっていた。
ホテルに到着して、生徒たちの部屋割りが決まると、明日の出発までは、すべて完全自由行動だと宣言した。
「せんせい、完全自由行動っていうけど我々を放っていうことかいな」
知らない土地だが、自分の行動に責任をもって行動するようにと指示した。
「先生に引率されないで、じぶんの意思で行動してごらん、その中に見えてくるものが必ずあるはずだよ」と、大切な注意事項を教えたうえで解散した。
自由ではあるが、ホテルに戻ってきたら連絡はちゃんとするようにと指示した。 《どこで何をたべたのか》
おなかがすいていた彼らは、蜘蛛の子を散らすように飛び出していった。 午後三時になると、もう日暮れだった。
あとで彼らの報告を聞いていると、それぞれ三グループに分かれて行動したようだった。とにかく、何を食べようかと歩き回ったようなのだ。
あるグループは、ハンバーグ店を探し求めて歩き回ったらしい。日本では、あっちこっちにあるのだから、ここにもあるはずだと思ったらしい。 アムステルダムは大きな都市である。ホテルは都市の中心に近いところだった。 あとで分かったことだが、そのころオランダ最初のマクドナルド店がアムステルダムにできたばかりだったのだ。 やっと店を探しだして、目的を果たしたが、ホテルまで帰ってくる頃には疲れ果ててすぐに眠りについた。
生徒同士が情報交換していた際に、編入生の中本君が
『おまえら、情けないなぁ。オランダまできて、なんでハンバーグやネン。 おれはな、レストランで、ステーキにスープまでついて千円ほどでたべられたよ』
『どこにレストランあったン』
『このホテルのすぐ近くにあるよ』
『そうか、これからはレストランにしようか。でも英語はどないしたんや』
『オランダは英語の国やないよ』
『そうなんか、外国は全部英語やと思っていたなー』
『どこでも、何とかなるものよ』
『そうか。これからは頑張って美味いモン食べようぜ』