中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(82)私を守ってくれたのはだれなのか

《やるべき時は、ちゃんとやる》

   二年目がスタートした。

第一期生たち17人は先輩顔をしたいが、圧倒的に数で負けてしまう。これだけ多くの生徒がいると、神戸市内、周辺各市の各中学校の番長と、それを取り巻く連中がどっと来ている。各中学校での問題児がすべて集まってきている状態だったので、番長同士の (勝負をつけようやないか) という思いも重なって、常に一気触発の雰囲気が漂っていた。 グラウンドがなく、生徒たちは息抜きの場所がない。

 一期生たちは、新任の教師に「ここは普通の学校と違うんだよ」となんども言ったようだ。それを新任教師たちは、(自分たち生徒は落ちこぼれなんだぞと卑下しているように)勘違いしたらしい。 一期生たちは、教師と生徒が相談しあってこの一年間をやってきたんだよ、民主的な学校なのだぞと言いたかったようなのだ。

一期生たちは、新任教師たちを見て、この学校の今後に大きな心配をもっているようだった。

 

 私の所に一期生が数人がやってきて

『理事長、この学校を普通の学校みたいにしたらあかんよ。おれらは普通の学校が嫌いやネン。この学校が好きやネン。新しいセンコーによう言っておいてほしいわ。俺らは、やるときにはちゃんとやるのやから』

 彼らは、新任教師を見て危機感を持っていたのだ。この学校は、俺たち生徒と教師たちとで作ってきた学校なのだ。新任の教師には、そこのところが分かっていない。(普通の学校)にしようと思っているようだと、危機感を持っていたのだった。

 彼らには、新任の教師たちには分からないこの学校独自の良さがあることを知っていた。新人教師より自分たちのほうが先輩なのだという自負心があったのだが、新しく「教師」として入ってきた人たちの中なには、それが理解できない人もいたし、素早く理念について理解を深めていた教師もいた。

 

《やるときには、ちゃんとやる》と彼らが私に言った言葉には裏がある。 彼らが一年生の二学期の初めころ、一学期の初めに買っておいたボールがなくなったから新しく買ってくれと言いに来た。わたしは

『こんなに早く、一ダースもなくしたとはどういうことなのだ。なくなったから新しく買ってもらえるなんて甘い考え方をするなよ。もっとよく探しなさい』

『そんなこと言ったって、なくなったものは仕方ないじゃないですか』

『こんな狭い空間で、そんなに早くボールがなくなるわけがない。しっかり探すことだな』

 彼らは、ぶつぶつ言いながら出て行った。しばらくは、自宅からボールを持ってきて野球をやっていたようだった。

 ある日の午前中にかなりの雨が降った日でした。午後の授業のベルが鳴ったのに(当時はカウベルを廊下に吊るしていた)一人も教室に戻ってこない。心配していると、全員がずぶ濡れになって戻ってきた。それぞれが、ボールをたくさん持っている。訳を訊くと、昼休みに公園で野球をしていた時にボールが川の中にはいって野球が出来なくなったので、一人が川の中に入ったところ、たくさんのボールがあることに気付き、泳げるものはボール拾いに参加してくれと彼が呼びかけたら、数人が川の中に入ってボールを探したところ、これだけ見つかったという。30個ほどあった。隣の中学校から飛んできたボールもあるのだろう。

 楽しそうな彼らの雰囲気に、授業をさぼったことを責めなかった。それに味をしめたのではなく、厳しい残暑の影響だと思うが、ある日に2時間続けて授業をエスケープしたのだった。

 学校に戻ってきた生徒たちを、教室の隅に椅子を使わずに座らせた。

『君達は、親に授業料を払わせ、授業料を払うために母親まで働かせておきながら、授業をサボっていいと思っているのか』

 これまでになく、大声で叱りながら涙声になっていた。

『この学校は、君たちのために作ったのだ。高校へ行きたいのに行けない君たちのために作ったのだ。君たちが、ちゃんとやるべきことをやってくれないと、この学校を作った意義がないのだ。今日のように、授業をエスケープする生徒が多くなったら、この学校は潰れてしまう。この学校を潰すような行為は絶対に許せない。男はナ、やるべき時には、ちゃんとやるべきなのだよ』

 その日から、生徒たちは、

『理事長はホンマに命がけみたいやゾ。おれらも協力しようぜ』

という声がきかれるようになった。そのころから「やるときにはやるのが神戸暁星魂だ」と生徒たちが思うようになったらしい。一期生は一致団結していた。その証拠に、卒業するまでの間、体育祭において、多数派の後輩たちに負けないで、毎年「優勝」を重ねたのだった。編入生を入れて、わずか18名が優勝を重ねた中に、彼らの「やるときにはやる」という思いが表れている。