中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(131)

(131)
教師の力量(その2)
 
日々変革していく努力を続けることを強く願ってこの文章を書きま
したが、一人一人がどうか私の願いを真剣に受けとめていただきた
いと思います。「理事長の言っていることは正しいことだけれど……」
と言うだけで実行に移さないのでは、何の変革も起こってまいりま
せん。実行に移すことが変革していくことになるのです。何が善で何
が悪か、「幸せ」とはどういうことなのだろうか、と真剣に考え、論
議し、自分と向かい合って考えることが変革につながっていくものな
のです。
真剣さを避け、反省することなく、日々の苦しさを酒に逃れるよう
では、決して変革は起こりません。教師一人一人が自分の可能性に
挑戦してこそ、生徒の限りない可能性を信じることができるのです。
どうか今日から少しずつでも前進を心がけた日々を送ろうではあり
ませんか。
 名代君のこと昭和六十一年は、新しく大きな新校舎を確保できまし
たが、新入生は100名余りにとどめました。
近隣への配慮と、教師の人材が三校舎に分割されるので経験者の数の
割合が低くなるために、慎重を期したのです。 経営上から言うと、2
00~300名の新入生を入れるべきでしょう。一挙に楽になり、以後
の対策がしやすくなるからです。しかし、経営を優先すると必ず生徒が
犠牲になってしまいます。広い校舎を遊ばせながらも、生徒にとって
ベターな方法を選ぶことにしたのです。
この年、かなりの猛者が入学してきましたが、彼らは最も定着率がよ
く、四年を経過した今春(平成二年)、入学時の九割以上の生徒が卒
業していきました。
そのなかの一人、名代君も、入学時から多くの問題を抱えた生徒でし
た。
 教師に対して乱暴な言葉を使ったり、たびたびケンカをしたり、弱い
生徒をいじめたり、授業中に騒いだり、一通りの問題行動をしました。
いつ、退学処分になっても仕方がないことをしたものでした。
しかし、冷静に見ていると、彼の場合は思春期特有のものであり、家庭
とか自分の将来を案じることから不安が広がり、問題行動へと発展して
いるようでした。彼には注意をしたり叱ったりしたこともありましたが、
それ以上に彼の不安を取り除いてやることに留意し、離れた存在ではなく、いつでも気軽に私に声をかけてこられるように配慮していました。
彼は三年生になってダイエーにアルバイトへ行き、現場の責任者に認め
られるようになってから、学校での態度も変わってきました。一、二年
生の頃とはすっかり変わり、落ち着きが出るとともに問題行動も日を追うごとに減っていったのです。
学校という存在は、学校側が思うほどに生徒に信頼されていないもの
です。
 親とか教師は、子どもや生徒に絶えず疎まれたり裏切られたりする
ことはあっても、尊敬されたり信頼されることは、それほど多くありま
せん。尊敬されたり信頼されることがあるとすれば、子どもが大人にな
った後とか、生徒が卒業した後の方が多いと思います。
ですから、学校がすべてのように傲慢にならず、生徒の成長を見守ると
いうことが大切だと思うのです。アルバイトを禁止するのではなく、ア
ルバイトの効用も、学校関係者や親は知っておいたほうがいいのではな
いでしょうか。
平成元年の夏、第一勧業銀行神戸山手支店のロビーで、私が神戸ファッ
ション・ソサエティ(K・F・S)の会長をしていたときの副会長で
あり、次期会長としてK・F・Sをより発展させてくれた㈱トライワ
ンの社長、柿本氏とばったり出会いました。彼とはしばらく会ってな
かったので、場所をファミリーレストランへ移して話をするうち、人
材難の話になりました。彼の会社では大卒ばかりを採用してきたので
すが、最近の大卒はイエスマンが多く、いい意味での若さがないとの
ことでした。
「どうだい、うちの生徒を採用してみないか?」
「今まで高卒を採用したこともないし・・・・・。それに、悪いけど
中原さんの学校は俗にいう落ちこぼれの生徒ばっかりなんだ・・・・・?」
「確かに、入学時は全員落ちこぼればかりだった。落ちこぼれたから私
の学校へ来たのは事実なんや。しかし、卒業する頃は違う。世間が落ち
こぼれといって馬鹿にする子どもたちがどれほど立派な人間になってい
くかを証明したくて、この学校を作ったんや。自主性を持つ人間に育て
る教育をしているつもりなんや」
「・・・・・」
私は、一期生、二期生の卒業生がどれほど活躍しているかを柿本社長に
話し、「面接だけでもいいから、彼らと会ってみてくれないか。大卒の
イエスマンよりは、ずっと上等な人材
がいるから」「中原さんがそれほどまでに言うのなら、会うだけはあっ
てみよう」__
そこで、名代君に、「私の友人の会社を受けてみないか」と呼びかけ、
面接に連れて行くことにしました。
面接は雑談も交え一時間ほどでしたが、私の期待に背くことなく名代君
は立派にふるまい、柿本社長も大変気に入ったようでした。
名代君は、平成二年四月、㈱トライワンに入社しました。
平成二年六月時点での柿本社長と彼の父である会長の、名代君に対する
評価は、「入社した日から毎日十一時過ぎまでの残業を嫌な顔一つせず
にやっていた。仕事を指示しなくても自分から仕事を探してでもやるタイプ。よく働くだけでなく、いろんなことをよく勉強している。感心する
ほどだ。これほどの人材はそんなにはいない。わが社でも彼の将来を大
いに期待している。ぜひ、彼のような人材を今年もほしい」というもの
でした。指示に従うだけでなく、指示がなくても働ける、学校を卒業し
てから積極的に勉強する、規則などは当然のこととして守れる人に彼は
育っていました。
私の考えている理想的な方向に、彼は成長しているように思います。
これからのさまざまな試練や挫折を乗り越えることによって、彼の将来
はますます大きく広がっていくことでしょう。その後、残念なことに
名代君は㈱トライワンを退社してしまいました。しかし、新しい職場
で頑張っているということです。名代君が頑張ってくれたお陰で、現在
岡田君が同社に就職しています。そして、今年もまた一名の求人を
いただいています。