中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(76)私を守ってくれたのはだれなのか

   《井戸君のお父さんとの会話》

 井戸君はヒノキの苗を切らなかったが、切った連中と一緒にいた。入学時に比べて、顔色が悪くなり、目に剣が見え始めていた。担任は最近の井戸君の行動に心配な面を感じたらしく、お母さんと面談したいと連絡して来ていただいた。

 井戸君のお母さんは上品で静かな方で、職員間でも「いまどきこのような箱入り娘のような人もいるんやねぇ」と話題になるような人だった。

 お母さんに話を聞くうちに家庭内のことが分かってきた。井戸君の父は広域暴力団を取り締まる刑事で、息子が公立高校の受験を失敗したことが残念でならないらしく、帰宅して息子の顔を見るたびに

「おまえ、まだ生きてたんか、死ぬ勇気もないノンか」

「親類で、公立へ行かれなかったのは、お前だけや。これからの四年間、親類付き合いも恥ずかしくてできへんわ」そうなのだ、この当時の通信制では4年間と決まっていたのだった。

2年後からから、文部省は方針を転換して、3年制となった。息子と顔を合わすたびに愚痴る父に腹立たしさが募り、彼が日に日に表情が険しくなっていったことが母親との面談で判明した。 

夏休みに入ってから、井戸君の父に、都合の良い日に一度お会いしたいと連絡を入れていた。 とても暑い日に来てくださったが、クーラーも設置されてない教室で話し合った。どうして息子が、こんな雑居ビルのちっぽけな学校に行くことになったのだ。そう思いながら来たというような表情をしていた。

 

『お父さんは、井戸君とほとんど会話されることがないようですね』

『わたしも忙しいのでね』

『父親はみんなそうでしょうが、父と子の会話は大切だと、おもいますよ』

井戸君の父が、自分のことを話し出した。

『私はね15歳の時に田舎から出てきて、苦学して警察官になったのですよ。15歳と言えば一人前でしょう。一人前の人間にどうして会話が必要か、納得できません。あいつは家内が甘やかせて育てたからあんなろくでなしになったんだ。あいつには、男の厳しさを教えることのほうが大事なのだよ』 

子育て論でぶつかってしまった。

『先生はね、息子ともっととスキンシップが必要だと言いますがね、わたしは、わたしなりの子育ての考え方を持っているのです。先生のようなボンボン育ちの方には分からないかもしれんが、男が15歳というたら、立派な一人前ですよ。話し合いや、スキンシップというのは、小学生の子供のはなしです。私の考え方を変える気はありません』

『あなたは、暴力団の取り締まりをしておられるでしょう。だから暴力団員たちを見てきたでしょう。彼らが、どういう経緯で組員になったと思っていますか』

『あいつらと、同じようにならないようにと、わたしは教育しとるんです』

『あなたの思いとは逆に、井戸君はどんどん曲がった方向に進んでいるように見えますよ。知らぬは、父親ばかりなりというようになってもいいのですか』

『・・・・・・』

『15歳は立派な男だと、なんどもおっしゃいますが、15歳でも一人一人が違うのです。産まれてから、だれもが全く同じ道を歩くのではなく、それぞれに違った道を歩いていくのです。 もの憶えが早い子もいれば、遅い子もいます。 速く走れる子供もいれば、遅い子供もいます。 体の大きさだって、それぞれに成長過程が異なっています。 教育の面でも同じです。 文部省の定めたカリキュラム通りに、どんどん吸収できる子もいれば、できない子供もいます。 灘高に行ける生徒は新幹線に乗っているような子どもたちでしょうし、この学校に来ている生徒たちは各駅停車に乗っているような生徒たちです。 あなたは、息子さんが、どこかで遅れ始めたことにも気がつかなかったでしょう。 学校という所は、遅れてしまう生徒たちを待ってくれないシステムになっています。 それは仕方がないことです。 それにいち早く気付けば、その子どもに合った塾を選んで遅れを取り戻すこともできたかもしれません。 しかし、成長期にある子供は、同時に反抗心も持っています。そういうことを、理解していないと、子供を追い込んでしまうことにもなるのです』 

 

そして、子供が誕生するときにも思わぬ問題があるという話もした。

『子供が誕生するときに、へその緒が首に巻き付いていて、仮死状態で生まれる赤ちゃんがいます。その影響が全くない子供もいますが、影響を受けている子供がある。 また、かんし分娩の赤ちゃんにも、同じことが言えます。あなたは、息子さんが、どのような状態で生まれたのか知っていますか』

『全く知りません』

『今お話ししたのは、たとえ話ですが、15歳だからという考え方はおやめください』

『人はだれでも同じだという考え方ではダメだということですね』

『そうです。そもそもこの学校に来たというのは、何らかの事情があるのでしょうね。 でも、大器晩成型のタイプかもしれませんから、失望してはいけませんよ。 お話を伺っていて、息子さんを追い込んでしまったお父さんにも原因があるようにおもいます。 息子さんだけではなく、暴力団員の人たちのこれまでの経緯をよく聴いてみてください、なるほどと思える事実がいっぱい出てくることでしょう』

『そうですな、これからはそういうことも気を付けて彼らを見てみましょう』

『学校の先生たちたちも、親たちも、社会の人たちも、一人一人を理解せずに、知らず知らずに差別して、裁いているのですよね。彼ら生徒は、それを感じ取り、俺らは社会の邪魔者扱いされているのだからと、開き直ってしまうのですよね』

『そういえば私も、ずっと裁いてきましたね』

『あなたは、先ほど私のことをボンボン育ちのひとで何もわかっていない人って言いましたよね。わたしも15歳で丁稚奉公したのですよ』

『先生が丁稚奉公していたのですか』

『人は見た眼で判断しては間違いますよ』

『そうですなー』

『私は50歳からは、社会に役立つ仕事、ご恩返しができる仕事をと思いながら生きています。 私自身も、わたしの子供たちも、社会の中の多くの人たちに助けられながら育ってきたと思っています。自分の力ではなく、多くの人たちの支えで生きてこられたのと思っています。だからこそ、50歳を過ぎれば自分のためではなく、多くの人たちのお返しをしようと心がけて生きています』

『それで学校を作られたのですか』

『その通りです。井戸さん、私の願いを一つだけ聞いてもらえませんか』

『なんでしょうか』

『井戸君とお父さんの二人だけで旅行に行っていただけませんか』

『二人だけで?』

『そうです。そして、行きも帰りも、宿泊先でも、一切グチとか説教をしないでいただきたい。ゆったりした景色の見える大浴場に入り、おい、俺の背中を流してくれとだけ言ってほしいのです』

『その一言のために旅行をしろと‥』

『そうです、必ずかれは変わると思いますか、お願いいたします』

『わかりました。やってみますが、どうしてそう思うのでしょうか』

『私は犬が好きです。犬と人間を一緒にしているわけじゃありませんが、犬も人の心が読めるのです。長く野犬をしている犬は近寄ってきません。なぜでしょう。

人を信用できないからです。近くまで来ても、手を出して撫ででやろうと思っても、逃げてしまいます。ガッチャーゾーンというのがありましてね、絶対に捕まらない距離までしか近寄らないのです。教師と先生の間にもこのようなことが言えますね。飼われている犬でも、飼い主の性格は犬を見ていればわかりますね。

だれにでもワンワン吠える犬や、甘えさせている犬。飼い主がしっかりしている犬。心と心が通っていない犬と通っている犬。この差は大きいですね。親子二人で心を通わせてくださいね』

『よくわかりました。学校の先生とこんな話をしたのは初めてですね。納得がいきました。是非とも息子を二人で旅行に行こうと思っています』