中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「思いつくままに」(3)ものの感じ方

 このタイトルで書き始めたが、どこまで関心を持っていただけるかが気になって(3)を書くまで時間がかかりすぎたようだ。

 今日は、こんな話を書いてみようと思う。

日本人は、木や石などにも神が宿っているように思う人が多いですよね。さまざまなものに神宿る。

このように感じる人は、日本だけでなくシベリアからモンゴル、アジア各国の人にも多い。

 それなのに、中国ではそう思う人が少い。なぜだろうかと思いませんか。

 その理由は至って簡単なのです。

紀元前の漢の時代に中国は孔子の「儒教」を国教として取り入れました。

 儒教は、結果的に中国の発展を止め後退の原因を作り出したのですが、儒教の影響で様々なものに神宿るという精神性を失っていったようです。

 一口に言ってしまえば、毛沢東儒教が中国を後退させているから儒教を根本的に排除しようと革命を起こし、革命後も根強く残る儒教排除のために

文化大革命」という手段を選んだようです。

 いろいろと、話が繋がっていますが、私は素朴な精神も大切かなと思います。

 いろんなものに神宿るという精神性もいいじゃありませんか。単純にですよ。

 オーストラリアの原住民(アボリジニ)は死ぬときに石を抱くそうです。生まれ変わるときには石になりたいのだそうです。