中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

(終)オランダという国について

この項は今日の第14回で終わりにしようと思っております。

神が作ったのではなく、オランダは我々が作った国土だと胸を張る人びとは、自由という人間も作ったような気がしています。

その自由とは、(勝手気侭な振る舞い)ということではなく(囚われない自由さ)だと思っています。

私が起ち上げた「日本がん楽会(ラッカイ)」は、癌になると、寝ても覚めても頭の中から(がん)のことが消えず、心が(がん)に囚われた状態になり、それ故に鬱病的になり、医療の選択肢にも迷いが生じて(迷信的治療)に溺れる人が少なくありません。

グループの名前に(楽)を使ったのは、囚われない心を持ちましょうと言う呼びかけのつもりでもあったのです。

楽と言う字には、織田信長の(楽市楽座のように)制約されない、囚われない自由という意味があると思っています。

オランダ人の自由の意味は、私が考えていることと同意義があるように思っているのです。

例えば、レンブラントというオランダを代表する画家は、それまでの(絵画)の常識を変えてしまいました。

当時のヨーロッパで絵画といえば(宗教画)でした。レンブラントは宗教画を全く描いていません。

日本の医者たちに大きな影響を与えた解剖書にもレンブラントはおおきな影響を与えました。

正確な描写法は、その後の各方面において重要視されるようになっています。

NHK朝ドラの「らんまん」の主人公のモデルの牧野富太郎氏は、その精密な描写力で植物学に貢献します。

レンブラントの場合は医学に貢献していますが、土木工学、建築学など多方面で精密描写が貢献していることは驚くほどです。

オランダ人の絵画では「ひまわり」を描いたゴッホも自由人でした。彼の場合は(変わり者)扱いされていますが。

杉田玄白がオランダの解剖図を見て、刑死人を医者たちと共に解剖したのが1771年でした。

解体新書を出したのが1774年です。

このことを記憶しておいて下さい。

ところが、1770年頃に、中国(清)で賢君と言われた康煕帝が、内密にヨーロッパ乗るフランスから精密な解剖図書を手に入れて中国語に翻訳させていたことが判明しています。

翻訳されたものは膨大なものでした。

ところが、康煕帝は翻訳したものを出版しませんでした。

当時の清.中国は儒教の中でも先鋭的な朱子学であったために、翻訳したものを世に出せば、古きが崩れ清が崩壊すると思ったのだろう。

後に、新崩壊後に翻訳されたものが見つかっている。

話はまたまた逸れるが、韓国も儒教を奉じたため近代化が遅れた。

毛沢東の革命は、共産党革命というよりも「儒教打破革命」というほうが正しいように思える。

儒教にがんじがらめでは近代化に遅れる。革命後も人々の生活の中に深く入っている儒教は根強く残っていて新中国建設の足かせとなっていた。

そこで毛沢東は、「文化大革命」と言う旗印を掲げ、人民を掻き混ぜることで儒教追い出しを図ったのだと思う。

文化大革命は、今でも世間では訳の分からない暴挙としか思われていないが、それは何千年もの儒教による思想が国を滅ぼす程に根深いものだと言うことを知らないからでしょう。

今も中国共産党はあるが、共産党思想等派ないに等しい。

今も儒教の亡霊に揺れているように思える。

話が逸れてしまった。

昔のオランダは人口150万人程度だったから、自由が育ったのだろうが、今の中国のような14億人ともなれば、自由などは育たないだろう。

オランダの自由、差別をしない国と言うことだけ覚えておいて頂ければ、この項を書いいて良かったと思えるのですが。

最後までお読み頂けて有難うございます。

これをよんでからオランダ旅行をすると楽しいですよ。