中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

(9)オランダという国について

オランダの国名は「ネーデルランド」である。

日本でオランダというのはホーランドという地域の名前が訛って生まれたのだろうか。

ネーデルという意味は、辞書によると(地底にあるとされている地獄)という意味らしいが、オランダ人は、それを逆手にとって国名にするのだから凄い人たちだ。

世に「神様はあらゆる国を造り給うたが、オランダだけは、オランダ人が作った」という言葉がある。

海面より低い土地を国土としてきた人達のプライドは高い。

私は54歳の時、卒業予定の生徒たちの中の8名だけを引率してヨーロッパ旅行をした。

最初に降りたところがアムステルダムだった。

ホテルに着くなり、みんなに自由行動を許可した。

戻る時間だけは守れというだけで制約をしなかった。

外国は初めて、英語も喋られない。地図も知らない。どこで食事をすればよいのかも分からない。

そのような中での自由行動だった。

その後、ローマもパリもスイスにも行ったが、どこでも完全自由行動を許可した。高校生である。

行く前から、ご家族に賛同を得ていた。

自分の身を守るためにどうすべきか、各自で考えろと言った。

結果的に言うと、大きな成功だった。大胆すぎることではあったが、彼らは大きな何かを得たのだった。

話が飛びすぎたが、私にとってもオランダは想い出深い国なのです。

アムステルダムではさまざまな場所を見学したが、個人として思い出に残るのは、一人で美術館へ行き、入った途端に目の前に大きなレンブラントの「夜警」の絵があったことだ。

レンブラントとの出会いであった。光と影を見事に描き上げた絵にしばらく見惚れていた。

その後、美術館の地下道で乞食がハーモニカを吹いているのに聴き惚れていたのだった。

今も目の前に当時の映像が蘇るような気がしている。

オランダ人はどの国の人よりも自律心が強い。その自律心故に国を作り、自由と差別のない國に仕上げた。誰もが平等であるということが、オランダ人にとっても生きやすい環境でもあるのだった。

そのような自由と差別のない国に、他国から流れ込んできた人達の中に、学者もいれば高度な技術者もいたことで、オランダと言う国はどんどん栄えた。

17世紀になるとヨーロッパでは、第一の所得を誇る国になっていた。