中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

戦時の相手国への思いとは

毎年、世界中のどこかでベートーヴェン戦争が起こっている。

不思議なことに、自国で武器の生産もできない国でも武器を持って戦っている。

誰が武器を与えるのか?

武器を与えた者を戦争犯罪人にすれば良いと思うのだが現実は、そうはならない。

AがB国に武器を与えれば、B国に対抗するC国にX国が武器を与える。

いたちごっこという図式になっていて、どっちが先なのか、どちらが悪いのかも分からない。

世界は摩訶不思議な状態になっているのが現実です。

住んでいる国によって情報も異なる。

「鬼畜米英」という言葉は日本があのー戦争中に作った言葉で、あちこちの街角に貼られていた。

中国に土足で踏み込んだ日本人たちに中国人がつけた言葉は「東洋鬼」だった。

相手を鬼日例え、或は豚といい、ロシアの皇帝は日露戦争のとき、日本人を猿といった。

相手に敬意を持たず、軽蔑することを教える、それが戦争という見苦しい武士実態です。

昔、秀吉が朝鮮を攻撃し、中国が朝鮮を助けるために参戦した。

その時、日本の武将が「我々は、中国、朝鮮から多くのことを学んできた。どうしてそれらと戦うのか分からない」と言って、戦わず、そのままその大隊は朝鮮に留まった。その村は今もあるそうです。

相手に敬意を払うが故でしょう。

日清戦争のときに、乃木大将が清の将軍に敬意を持って接したという話も残っています。

今、ロシアと、ウクライナの人々は互いに複雑な心境でいるのでしょうか。