今日は認知症について私が思っていることを書きたいと思っています。
しかし認知症とアルツハイマーとは区別して書いていきます。 私は今日書こうとしてるのは認知症のことです。
認知症の入口は寂しさだと考えています。 誰でも高齢になると寂しそう感じることがあるでしょう。 家族に恵まれていても,あるいは周辺の人々に恵まれていたとしても、寂しさを感じるというのは高齢者だけのものであるかも知れません。
とにかく高齢になると自分以外の人といろんな形で結ばれていないと寂しさを感いよいよじるものです。 かなり積極的な生き方をしている人であっても,相手から求められない、孤独さを感じたときから
認知が低下していきます。
この時、周囲はいよいよボケが始まったな、などと会話し、高齢者に対しても
ボケてきたという前提で接してしまいます。
認知症が始まった高齢者は、いろんな
妄想に取りつかれ、より深く認知症が
進みます。最初に寂しさを感じさせたのはだれか?夫か妻か、あるいは子供たちか。
認知症が重くなると、結果的には家族2負担がかかることになります。
誰もが高齢者を避ける風潮になっていますが、街で高齢者を見かけたら、優しいコトバをかけて上げてほしいと、ねがっています。その一言で認知症2ならない
で済むかもしれません。優しい一言、
声掛け運動を進めてほしいと願っています。