中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人生の岐路を考える (8) 命がけでなくっちゃ

 人生の岐路と言っても、人によってはあまり数多くない人も

いるに違いない。あの時と、あの時だけ・・なんていう人も

いるだろうし、数えられないほどたくさんあったというひとも

いる。岐路とは思わなかったという人もいるし、つまらないことを

岐路だと勘違いした方もいるだろう。

 人生の岐路と言うからには、それを判断し、乗り越えるためには

命がけで考える、取り組むほどでなければ、解決も出来なくて、

岐路どころか迷路になってしまいかねない。 そういう判断の仕方

にも、人それぞれがあるというわけだ。 社会を広く深く知っている

人と、狭く浅いところばかり見て暮らしている人とでは、自ずから

判断に差があるだろうとおもう。

 最近はみたこともないが人生相談欄などを読むと、どうしてこんな

馬鹿げた相談をするのだろうという内容もある。だが、本人は大まじめ

に悩んでいるからこそ相談しているのだろう。 他人に容易く相談する

程度のものならば、自分で考えれば答えは出るはずだ・・と思っている。

相談をする・・と言うことは、自分で考えることを放棄しているのと

同じで、回答をもらったからと言って納得しないのではないだろうか。

私は85年以上生きてきて、自分の大事な相談を人にしたことは一度も

ない。相談してみても仕方がないだろう・・と思うからだ。特に人生の

岐路に関する問題は、自分で考えるほかない。命がけで決めるしかない。

相談するという「甘え」を捨てないと、自立はできない。自立していない

人には、まだ岐路というものさえ見えていないように思える。

 そんなことはいいとして、岐路と感じたときに、なにを感じ、なにに

よって判断するかも問われる。 読書嫌いな人たちや、読解力の低い

人たちは、判断の材料を持ち合わせていないかもしれない。

 日常会話に困っていないから日本語は十分知っていると思っている

人も多い。外国人と結婚した日本の女性が、50歳を超えてから離婚

する場合が多い。日常的会話がどれほどできていても、夫の国の文化

を知っていないとうまく行かなくなるらしい。若い時は「愛」だけで

のりのりになっていても、「言葉」が人生の岐路になってしまう場合も

あるということです。