中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人生の岐路について ⑥ 決断の速さと実行力

 前回に書いたように、人生の岐路は、思わぬ形で現れることがある。

現われたものを「岐路」と感じるか感じないかには個人差がるだろうし、

その時の気分によるかもしれない。

 全く逆の感じだが、岐路に追い込まれてしまうこともある。これまでの

人生で追い込まれた感じの岐路に5度立たされたことがある。そのうちの

1回は、不渡り手形を掴まされた時だった。古い話だが、神戸市須磨区

ラジオ関西が入っているビルの2~3階に入居していたファッション会社が

った。近代的なイメージのする館内で時代の先端を走っている雰囲気だった。

この会社にわたしはスカートを卸していた。私がデザインし、パターンを作り

裁断していた。縫製は下請けに出していた。売れ行きは好調だった。

一部はセンター街の「セリザワ」さんにも卸すほどの高級スカートだった。

まさか、須磨の会社が倒産するとは・・読めていなかった。信頼しすぎていた。

私にとっては大きすぎる金額の不渡り手形が、銀行から知らされた時は

唖然とするばかりだった。一気に追い込まれてしまった。それに輪をかける

ことが起こった。生地の仕入れは、大阪のどぶ池の生地問屋さんだった。

いつもニコニコしているご主人は、「なんか困ったことがあれば、いつでも

いうておいでや、力になって上げるさかい」と言ってくださった。

 その言葉に私は甘えてしまった。電話をかけ、不渡り手形をくらったので、

そちらへの支払いをしばらく待ってもらえないかと。問屋のご主人は、そうか、

そうか、分かった・・と優しく言ってくださった。それから1時間も経たない

時、どかどかと三人が乗り込んできて、店内にあった、製品すべてと、生地の

すべてを4トントラックに積み込んで去っていった。あっという間の「事件」

だった。話し合いも何もあったもんじゃなかった。見事という他ない略奪の

ような瞬間をみながら、私は腹を決めた。 岐路といえば、ここが岐路だった

と思える。 他にも負債がある。だからその相手にも連絡し、事のいきさつを

説明した。債権者たちは(それほど大きな金額ではないが)誰もが怒った。

その大阪の問屋さんとお前とは共犯なんじゃないだろうな?ともいわれた。

 まあ、それらの債権者とは話がついた。問題はどぶ池の問屋である。

なにしろ、どぶ池の問屋といえば、並みの人間ではやっていけない・・と、

司馬遼太郎さんも書いているほど、すさまじいところだ。ここから、私の

非認知能力が火を噴いた。電話での僅か10分間での会話で、謝罪させた

上に、まだまだ残っている債務まで帳消しにさせたのだった。ここで、その

時の手の内を明かせない。子供のころから苦難の中で生きてきたものが、

おおいに役立った。 15歳から六法全書を手放さなかった知恵が一気に

吹きだしたのだった。

その時から、2年後には神戸ファッションソサエティーという大きな組織を

作るほどにカムバックしていた。