中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人を育てるということ(1) 非行少年をどう見るか

 大胆なタイトルだが、何度かに分けて「人を育てるということ」

を書いてみたい。できれば最後の回まで読みいただければと思う。

こんなことを書こうと思い至ったのは、昨日の毎日新聞夕刊の

一面に大きく取り上げられていた記事に触発されたからだ。その

大見出しは「非行少年 見過ごされた認知力」である。強盗や強姦

などの非行をした少年が認知力の弱い子であり、それが少年院に入る

まで気づく人がいなかったと言うないようだ。アマゾンの総合和書で

一時はランキングトップだったという「ケーキを切れない非行少年たち」

という本が出ているらしい。関心のある方は新潮新書でご購入を。

 こんな本が出ていることは知らなかったが、非行少年たちの中には

ケーキを切れない少年がいても不思議ではない。ここでいうケーキを

切る・・と言うのは、丸いケーキを3等分に切ることができないという

話である。

 この本の取り上げ方に全面的には納得できないが(本を読んでいない

ので、詳しくはしらないが・・)そういう子供もいるという点では納得

している。この記事で心配なのは、一面トップで取り上げて少々大げさ

すぎると言うことだ。受け取りかたでは、非行少年の多くがケーキを

切れない子であったり、サイコロなどの立体図が書けない子だったり、

足し算、割り算などができない子だったりと思い込むか、そういうことが

出来ない子供が非行少年になると思い込むかもしれないと、私は心配する。

著者はある一面だけを取り上げて強調しすぎているのではないかとも思う。

 これから私の考え方を書き進めていく。わたしにはそうことを書く資格?

があると思うからだ。しかし、ここでも気を付けて書き進めないと、誤解を

受ける可能性があるとも思っている。どうかお読みくださる方は、丁寧に

読んでいただきたい。 興味本位に読めば必ず誤解に至ってしまうのを心配

しているのです。 私の作った高校には毎年200名の高校一年生が入学して

来る。在校生は約600名で教師数は約40名だった。

 在校生の半分は、中学生時代にヤンチャで暴れん坊で学校の厄介者で

番長と呼ばれる校内ナンバーワンの生徒とその取り巻き連中。そういう生徒が

神戸市や周辺都市の中学校から集まっていた。開校する前には、私の友人たち

は反対したし、校舎近くの近隣住民からも猛反対運動が展開された。ここまで

書いてくると・・そういうことを書けるのだから、上手くいったのだろうな・・

と思ってくだされば嬉しい。毎日事件は起こった。とんでもない事件もあった。

だが、私の理念は「子供たちの可能性を信じる」だから、彼らを信じ、彼らは

成長し私の期待に応えてくれたのだった。 毎年非行少年と言われるかもしれ

ないという子供たちは約100名入学した。あとの半分の約100名はやんちゃ

以外の様々な問題を抱えた子供たちだった。

 高校とは別に「予科」(毎年15名受入れ)というのも作った。校舎は別にして

自閉症などの様々な障害児をこちらに迎え入れたが、今日の話とは別なので

これ以上は触れない。

やんちゃ坊主、ゴンタくそと言っても様々だ。こんな子どもほど見事に成長も

する。 このような生徒と向き合っていると、小学校~中学校までの教育者は

生徒をしっかり見ていなかったのではないかと思ったものだ。

医者がPC画面ばかり見て患者を診ていないように、教師も生徒の内面を捉え

られない人が多いようだ。 生徒たちは教師の愛に飢えていると極言しても

いいのではないか。「問題児はいない、問題を抱えた子供がいるだけだ

これがわたしの信念なのだが、問題を抱えた子供がいるの、部分を理解できる

人が少ないようにおもう。   (2)に続く。