妻の79歳の誕生日だった。携帯を持つのを忘れていたので、
帰宅したらあちこちから電話がかかっていた。 オーストラリアの親しい
友人からもかかっきた。彼女は私たち二人の誕生日に必ず電話を
くれる。
今日はサンチカで、娘からプレゼントしてもらえる商品を前もって
こちらが選んでおくという毎年の「品選び」にいく。
それからANAホテルのレストランに行って食事をすませて帰宅した
のが7時半。
留守録に入っていた先にこちらから電話を入れる。 これが長引いて
1時間半にも。 その間にまた電話があったらしく・・何度かけても出ない
と・・苦情を言われてしまった。
従妹の主人が脳梗塞で倒れて3週間、神戸の病院に転院した。その
ことでアドバイスをする。 いろんな病気のサポートをしてきたことは
無駄ではない。 いろぴろ役立てることが出来る。
事前に頼んでおいた花屋さんからは、おおきな真っ赤なバラ15輪が
お昼に届いた。今年はきれいな立派なバラだった。
妻には「紀元二千六百年から79年が経ったんだね」と、カードの中に
書いておいた。 79年前、日本の紀元二千六百年の祝いは、日本の
全国の街々で(どんな田舎でも大都市でも)提灯行列が行われたの
だった。 妻の同年者には「紀子」と言う名が多い。紀元二千六百年
に因んだ名前なのだ。私は、この年に全国で強制的に歌わされた
「紀元は二千六百年」というのを今でも歌える。