中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

思い出に残っている食べ物(3)

 妻の場合は福井県・小浜で冬場になれば越前かにが「おやつ」だった
という。父が宮司だったので新鮮な鯛が3日にあげず届くので食べ飽き
たという。 アユがよく獲れたので、囲炉裏で焼いて一斗缶にいくつも
貯蔵し、出汁として使っていたという。 どれもこれもぜいたくという他ない
が、当時は流通事情が悪かったので、今では1ぱいウン万円もするカニ
おやつで食べられたというわけだ。
 淡路島の場合、阪神と言う大都会が近く流通経路がいくつもあったために、
瀬戸内海や大阪湾で獲れた魚介類は地元で消費されるより、大都会に流れ
て行ったのだった。
 だからぜいたくなものを食べた記憶はほとんどない。 すき焼きは、年に
2,3度程度だったし、天麩羅は父が年に1,2度帰ってきたときに作って
くれる程度だった。
 農繁期が終わって新米が食べられるときは嬉しかった。 普段は白米飯
など食べることはない。 平押しにした麦とか丸麦を米に3割以上入れた
ご飯だった。 だから農繁期が終わった祝いの新米はとても嬉しかった。
 祖母が作る混ぜごはんが美味かったので、時々私が作っている。
大根やジャガイモの入った混ぜご飯(バラ寿司)は、なかなかの味なのだ。
 祖母が作っていたものでは、団子汁があったが、米粉団子にささげ豆を
づいきをいれた味噌味で美味しかった。これは再現できない。
 ヨモギをバケツ一杯とってきて、きれいに掃除し湯がく。 米を石うすで
引いて米粉を作る祖母とわたしの合作だ。1日がかりでやっとできる。
とても時間がかかるのだ。 味の記憶はないが、作る工程はすべて覚えて
いる。 少なくとも小学校1年生から中学校3年生までの9年間に美味いと
思ったものを食べた記憶はほとんどない。 小1入学時、後ろの方に並んで
私が中3で卒業するころには前から3番目ぐらいに背が低くなっていた。
 16歳の時、1年間で15センチほど背が伸びたが、それにはある人との
出会いがあった。(続く)